あなたがたは、このように
主キリスト・イエスを受け入れたのですから、
彼にあって歩みなさい。
キリストの中に根ざし、また建てられ、
また、教えられたとおり信仰を堅くし、
あふれるばかり感謝しなさい。
コロサイ2:6,7
信仰の生涯は、「受け入れる」ということばで代表される。
信仰をもたないうちは、イエスは私たちにとって単なる名前にすぎない。
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主ははるか昔に生きていた人物であり、その生涯も歴史上の物語にとどまる。
しかし、それが信仰の働きによる時、イエスは私たちの意識において現実の人格となられるのである。
キリストを受け入れるとは、主を神よりの無代価の賜物として受け入れ、私の心の中で現実のものとし、私自身のものとすることである。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
「イエスは私たちの意識において現実の人格となられる」というスポルジョンのことばが、心に響きました。
コロサイの2章はこう続きます。
「神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らの捕虜として凱旋の行列に加えられました。」
いつも、どんな時も、キリストは私の人生の中に、生きて働いておられるから、今日も安心して、自分の手の平にのせられた、今日の分の仕事に、今日の労苦に、心を注ごうと思います。祈りながら。