Tuesday, December 26, 2017

朝ごとに 12・26

聖書に
「最初の人アダムは生きた者となった」
と書いてありますが、
最後のアダムは、
生かす御霊となりました。
Ⅰコリント 15:45
イエスは、選ばれた者たちのかしらである。
ちょうどアダムが、行いの律法の下にあって人類の契約の締結者であり、代表者であったために、すべての血肉の子孫は彼と個人的関係をもったように、恵みの律法の下において、すべての購われたたましいは、天から降られた主と一体である。
なぜなら、主は第二のアダムであり、新しい契約の下において選ばれた者たちの保証人、あるいは代理人だからである。
私たちは主にあって十字架につけられ、主と共に葬られた。
さらに驚くべきことに、私たちは主と共によみがえらされ、共に天の所に座らせられたのである。
こうして、教会は律法を成就し、「愛する御子によって受け入れられた」のである。
そして義であられる神は、満足して教会をご覧になるのである。
なぜなら、神は教会をイエスにあって見るのであり、契約のかしらであるイエスと別なものとは見られないからである。
C.H.スポルジョン 「朝ごとに」より
とても難しいけど、おもしろいⅠコリントの15章です。
スポルジョンはこの説教を、1月1日から12月31日までのこの全ての説教を、教会の一部である、人間に向けて書いていることが、だんだんとわかってきました。
教会の部分である、人間であり、アダムの子孫であり、新しい契約において神にアダプトされた養子たちにむけて。
私の教会のワーシップ・リーダー(私は日本語ミニストリーのワーシップチームにいるので、彼と直接話したことは、一度もないけれど、私、とても彼に影響を受けている)が、「ヘイ、チャーチ」と私に、会衆に呼びかける、その言葉が私は、本当に好き。
今年の最後の4ヶ月は、スポルジョンの日本語の説教と、彼の賛美リードとに支えられ、なんとか、教会生活を続けることができたのかもしれません。