Wednesday, December 6, 2017

麻痺する感覚・研ぎ澄まされる感性

4時に起きて、聖書読んで、お弁当作って、プールで泳いで、幼稚園に行って、終わったら、ふたつ、みっつのピアノレッスンをして、ちょっと買い物して帰る、という判でついたような規則正しい生活です。
そのひとつひとつ、どれをとってみても、昨日と今日の違いを見つけるのが難しいぐらい、同じような日々です。
違いは、サンドイッチにはさむものだったり、靴下の柄だったり、幼稚園の活動の内容だったり、ピアノを教えている子どもだったりするだけで、本当に毎日、同じことを同じ順番で祈り、同じ量の水を飲んで、同じ量を食べ、同じ時間にトイレに行って、同じ時間に寝ています。
そんな、一見平穏無事に見える日々の中にも、実はいろ~んなことがあります。
本当に、話題、というか、ニュースに事欠かない職場なのです。
毎日、これでもかというぐらいいろんなことが起きて、その対処に追われる人の思いや、考え、決定がちらちらと聞こえてくる中、平静を保ち続けることに少しづつ、少しづつ慣れてきました。
それが、良いことなのか、悪いことなのか、今は、ちょっとまだわかんない。
でも、ひとつだけ、はっきりわかることは、キリストの誕生を喜び祝うことを仕事とし、それのプロになることを許されたってこと。
平たく言うと、有給でそれをやらせてもらっているという祝福。
ここで何が起きたとしても、ここで私に起きたことの大きさには変えられない、と思う。
その思いが主の前に受け入れられるかどうかは、よくわかんないけれど。