主がそのしもべモーセに命じたとおりに、
モーセはヨシュアに命じたが、
ヨシュアはそのとおりに行い、
主が命じたすべてのことばを、
一言も取り除かなかった。
ヨシュア記 11:15
領土を征服しまくるヨシュアの勝利の理由は後にも先にも主の約束にある。
ヨシュアが約束を守ったことにある。
「これぐらいはいいかな」はなかった。
「それはこういう意味だ」という自分勝手な解釈もなし。
忠実であるということを、考えない犬のように思ったら大間違いだと出エジプト以降、主は畳みかけるように私を諭します。
写真は昨日の私のディナー。
ベッドでYouTube を見ながら一人で食べました。
子どもたちのは、夫がポークチョップを焼いてくれました。
はなが、外泊して、しかも朝帰りならず、昨日の夕方の5時にご帰還。
私、顔もみたくなくて、一言も口をきかなかった。
カンパニーの友だちの家にいました。
ただのプレイデートってことで、そこのお母さんがはなを迎えに来て、そして送ってくれるということになっていたのに、私は、歯ブラシも持って行っていない行き当たりばったりなそのやり方がどうしても好きになれなかった。
今朝、神さまの気もち、とってもよくわかる。
良い悪いではなくて、まずは忠実であるべき時というのが、あると思う。
私、たぶん、はながその日の夕方帰ってきてくれていたら、また日を改めて、お菓子やスリーピングバッグとか持たせて、実現させてあげた。きっと。
(夫は、彼女のお父さんが急に入院したのではなを側にいさせたかったと思うというようなことを言っていました)