まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、
あなたにとってむずかしすぎるものではなく、
遠くかけ離れたものでもない。
これは天にあるものではないから、
「誰か、私たちのために天に上り、
それを取って来て、
私たちに聞かせて行なわせようとするのか」
と言わなくてもよい。
また、これは海のかなたにあるのではないから、
「だれが、私たちのために海のかなたに渡り、
それを取って来て、
私たちに聞かせて行わせようとするのか」
と言わなくてもよい。
まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、
あなたの口にあり、あなたの心にあって、
あなたはこれを行うことができる。
申命記 30:11-14
まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって・・・、昨日読んだマックスの交通標識のメッセージはきっとここから来ているのね。
日常生活の中で、さまざまな神のメッセージが私の目の前で美しく交差する。
英語の聖書では、このところに、The Offer of Life or Death とあります。
マックスも、昨日それを、神のオファーと書いていた。
15節にこう繋がってゆくからです。
「見よ。私は、確かにきょう、あなたの前にいのちと幸い、死とわざわいを置く」
誰も死を死と知っていて、選ぶわけではないと思う。
自分の中の「ねばならない」「絶対必要」が、人を死に向かって歩ませるのかもしれない。
究極的には、神が共にあるならそこ以上に良いところはない、それ以上に良い人生ないと頭では理解しているにもかかわらず。