主は、その恵の倉、天を開き、
時にかなって雨をあなたの地に与え、
あなたのすべての手のわざを祝福される。
それであなたは多くの国々に貸すであろうが、
借りることはない。
私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、
主の命令にあなたが聞き従い、守り行うなら、
主はあなたをかしらとならせ、
尾とはならせない。
ただ上におらせ、
下へはくだらせない。
申命記 28:12
申命記の28章は、この13節まではホントにいい。
でも、どうか今、聖書を開いてみてください。
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15節からは、呪いのオンパレードです。
ここを、丹念に読む勇気のある人は少ないと思う。
私は大抵、いえ、毎回、「はいはいはいはい、こっちは選ばないから、詳しく知りたくありません」と口を尖らせて斜めにさらっと読んだふりする箇所です。
11章に戻って赤鉛筆でグルグルと囲んでほしい、決定的絶対的な主の私たちへのチャレンジはこう。「見よ。私は、きょう、あなたがたの前に、祝福とのろいを置く。11:26」
祝福は選ぶものということを改めて思い起こしながら、私は、この夏を経て新しいチャレンジを受けて立つことにしました。
私も欲しかった |
全く未知の世界です。
ここで、ひとつ、小さな証。
祝福って選ぶ前は祝福っぽく見えないことがあります。
悪名、汚名、噂、世間さまみたいな感じ。 (全然意味がわかんないと思うけど)
でも、それもこれもあれもどれもぜ〜んぶのった風呂敷、四隅を集めて、「はい、がんばってみます」と言って担ごうとした瞬間、実は風呂敷の上にのせられたものの真実の気づくのです。
それがなんなのか、まだよくわかんないんだけど、でも良いものに違いないと気づいたのだ。