Saturday, June 9, 2018

Traffic Signs and Pardons

For Your name’s sake, O LORD,
Pardon my iniquity, for it is great.
We cherish pardon, don’t we? I was thinking about pardon a few afternoon ago on south Texas country road. I know it well. I now know the highway patrolman who oversees it.
     And he now knows me. He looked at my driver’s license. “Your name is familiar to me. Aren’t you a minister here in San Antonio?”
     “Yes, sir.”
     “On your way to a funeral?”
     “No.”
     “An emergency?”
     “No.”
     “You are going awfully fast.”
     “I know.”
     “Tell you what l’m going to do. I’m going to give you a second chance.”
      I sighed. “Thank you. And thank for giving me a sermon illustration on pardon.”
     God has posted his traffic signs everywhere we look. In the universe, in Scripture, even within our hearts. Yet we persist in disregarding his directions. But God does not give us what we deserve. He has drenched his world in grace. God offers second chances, like a soup kitchen offers meals to everyone who asks.
     And that includes you.
Max Lucado のGod Is with You Every Day より
すごいすごいすごいすごい。
言っておくけど、これは、6月9日のページのメッセージであって、私がこのピンチを切り抜けるために探した文章でもなんでもないよ。
今日って、6月9日?そうよね、、、すごいな〜。
これを日本語にサラサラと訳せるもんなら、訳したいよ。
「神さまは、交通標識さながらに、たくさんの生きる指針を僕たちに見せてくれている、そこかしこに。僕たちのこころに。
僕たちがそれをうっかり無視して間違ったとしても、それだからと言って神さまは、『ぴぴー!はい、ダメダメー!はい!チケット』なんていわないんだ。
神さまは、第2の機会をオファーしてくださる。
それはまるで、キッチンのスープのおかわりみたいだよ。
誰でも求める人にはくれるおかわり。
あなたにも、賢人にも。」
すごい要約意訳をごめんなさい。
でも、マックスの言いたいことはそういうこと。
うんうん、わかった。マックス。
ありがと、マックス。
大学の寮への締め切り日は6月1日でした。
とっくに申し込んで、今か今かと返事を待っていたのに、なんの音沙汰もないので、調べてみたら、なぜか、申し込みが届いていませんでした。
(あの子は私に似て、大切な書類をプリントアウトはおろか、写真にして、取っておくこともしない、なんとも大らかな信仰者なわけだ。つまり、submit のクリックしてなかったんじゃないの?と母に疑われてもしょうがないほど、申し込んだ証拠がない・・・)
6月6日の出来事です。
それで、すぐに、ウェイティング・リストにのせてもらいました。
ふう〜。
私も、文章にできるほど、心が静まってきたようです。
ハラハラどきどきでかわいそいな夏休みになってしまったけど、こういうことを経験しながら、あの子は神さまの用いられる器となってう行くのだと思う。
だよね、マックス。