Sunday, September 24, 2017

あきらめない神さま

★今日の午後は、教会の近くの、があがあ公園で、ゆりかさんとのんびりおしゃべりして過ごしました。
ちょっと前のゆりかさんとはな
久しぶりに、大人と、業務連絡(夫)や教務連絡(コ・ワーカーたちと)以外の会話をした気がします。
喋らなくても聞かなくても、わりと普通に生きてゆける私は、大雨とか、洪水とか、ハリケーンとかミサイルとかって話を、こういう所で初めて聞き、「へえ~」となり、「ふ~ん」と、なんだかよくわからないなりに、なんの話だったかぐらいはわかるわけです。「で、その人の話のポイントは結局なんだったの?」とつっこむ私に、「ポイントなんて特にない、まあ、いわゆる報告ね」とゆりかさん。
のぞむくんの妹
「で、その報告のポイントは?」とさらに突っ込む私に、「そんなの最初からないと思うよ、ただ話したかっただけなんじゃない?」。
ありがとう。ごめんね、ゆりかさん。
でも、こんな私に、長年こりもせず、話続けてくれるの、もうゆりかさんぐらいしかいないのです。
神さまって、けっしてあきらめないお方。
★賢人が、茅野から留学に来ているのぞむくんと、とっても仲良しです。
のそむくんの母と姉
一緒にハイキングしたり、勉強をしたり、ご飯を食べにでかけたり。
今日は、2人で、礼拝の後、賢人の運転でおでかけ。
あの子にとって、初めての日本人の友だちです。
今まで、いくつかの日本人との出会いがありながら、あの子はいつもそれをつかむどっころか、困って、苦しんで、いつしか、避けるようにさえなっていた。
10歳の賢人が洗礼を受けて、ちゃんとクリスチャンになりたいと言い出したのも、日本人との人間関係のトラブルの中でのことでした。
のぞむくんは、さなえさんの子どもです。
そう、あの、賢人が茅野で最もお世話になったであろう、彼の写真に、ばんばん登場していた、私と同世代の女性です。
神さま、あきらめずにいてくれて、本当にありがとう。