Monday, March 6, 2017

ダニエル書 2章

神の御名は
とこしえからとこしえまで
ほむべきかな。
知恵と力は神のもの。
神は季節と時を変え、
王を廃し、王を立て、
知者には知恵を、
理性ある者には知識を授けられる。
神は、深くて計り知れないことも、
隠されていることもあらわにし、
暗黒にあるものを知り、
ご自身に光を宿す。
私の先祖の神。
私はあなたに感謝し、
あなたを賛美します。
あなたは私に知恵と力とを賜い、
今、私たちがあなたにこいねがったことを私に知らせ、
王のことを私たちに知らせてくださいました。
ダニエル 2:20~24
ネブカデネザルの命令によって、ダニエルを含む、バビロンの知者と言われる人々が殺されるという知らせを受けた夜、主の秘密の幻がダニエルに現れ、天の神さまを褒めたたえて言ったダニエルのことばです。
そして、彼は王の前に立ち、「王が求められる秘密は、知者、呪文師、星占いも王に示すことはできません。天に秘密をあらわすひとりの神がおられ、この方が終りの日に起こることをネブカデネザル王に示された」と話しはじめ、「この秘密が私にあらわされたのは、ほかのどの人よりも私に知恵があるからではなく、その解き明かしが王に知らされることよって、あなたの心の思いをあなたはお知りになるためです。」と続きます。
殺されるかもしれない運命を前に、堂々と立派な、神に愛されている者の態度は、何度読んでも心を打たれます。
彼が何歳で捕囚に連れ出されたのか、私は聖書の中に見つけることはできないけれど、以来へブルの習慣や教育は持って出たもの以外、与えられていなかったと思う。
若い彼の魂や霊の世話は天の神さまが直接していたということでしょうか。
昨日、礼拝の中で、ちらっと出てきた「メンター」ということばに、胸の奥の方が小さく痛みを感じました。
私は、メンターを取られるという経験を通して、安息日に、より大きな重きを置くようになりました。
ダニエルは、もしかしたら、その両方を一度に取られたかもしれません。
でも、天の神は、彼に神の愛も人の愛も悟らせた。
そういう養われ方というのが、あるのかもしれません。