Friday, March 17, 2017

アモス書 4章

あなたはあなたの神に会う備えをせよ。
見よ。山々を造り、風を造り出し、
人にその思いがなんであるかを告げ、
暁と暗やみを造り、
地と高い所を歩まれる方、
その名は万軍の神、主。
アモス 4:13
貧しい人々から搾取の上の贅をつくしたサマリアの女達を、雌牛として描くアモス。
そして、その結末は、釣り針にかけられてひかれる無残な姿。
イスラエル人の信仰心の深さは、的をはずしてもなお深く、それが本当に悲しい皮肉な偶像礼拝です。
何かを強く信じることのできる人の犯す罪は、そうでない人に比べて、その傷(罪の大きさとはあえて書かない)は深いと思う。
たとえ、それが自分自身を信じる信仰であったとしても。
私が、今まで、どんな宗教も持たなかったのは、私の性格から言って、すごく奇妙だと思う。
いろんな話が頭の上や顔の前を通りすぎたけど、何も私を捕らえなかった。
ネットワーク・ビジネスなんていうのが大やはりした時も、風水という占いがはやった時も。
昔、賢人の習い事の待ち時間にはなを公園で遊ばせていると、なぜかよくモルモン教の人に話しかけられました。
私、クリスチャンのくせして、話をさえぎるのが申し訳なくて、ずっとつきあって、トラクトをもらって、すごく疲れたことよくあったけど、でも、信じる気持ちになったことは、一度もなかった。
地獄を否定されても、ちっともうれしくなかった。
「えらいな~、公園で伝道。でも、救いは信仰によるから、そんなに伝道をノルマみたいにがんばらなくても、いいのに・・・」なんて、ちゃんと感想を持ったりもしていた。
でも思えば、私には、キリスト者がかもし出す雰囲気(そういうのがあったとして)というのにいまいち、欠けているのようね、きっと。