憤りは愚か者を殺し、
ねたみはあさはなな者を死なせる。
ヨブ記5:2
心からの赦しは、一言で言えばこういうことです。
「本当に、私はとても深く傷つきました。でもこれ以上、痛みに自分の人生をコントロールさせるようなことはしない。私は痛みを手放します。もう苦しみはいらない。前に進んでいくために。」
その方法
その方法
1、いろんな人に話さないと決意する
2、過去についてあれこれ考えるのをやめる
3、赦そうとする相手といるときは、明るく穏やかに
4、だれに対しても罪責感を与えることをしない
5、相手が後悔しているときには、その人の尊厳が復元されるためにできる限りのことをする
6、独善的な意識を捨てる
7、相手が悪いことをしたとは思っていないようにふるまう
8、生涯をかけて完全に赦す覚悟を決める
9、自分を傷つけた相手のために祈る
10、あなた自身がいやされるように求める
赦しは、私たちを弱く傷つきやすくするどころか、私たちの目を開き、力づけ、赦す側も赦される側も解放します。
困難な状況に幕を引き、どうやって報復しようか、公正さとは何か、という難題をわきに押しやり、心に本物の平安を得させます。
スー・オーガスティン
私は、能天気でおめでたい筋金入りの自惚れ屋です。
私を赦すために、誰かがこんなに苦労をしていると思うと、なんだかとても考えさせられるものがあります。
「えっ、そっち?」とあきれて、座布団やらバナナの皮やらティシュボックスやら消しゴムやら聖書やらが飛んできそうだけど、それらをよけつつ、あえて、書くなら、私は分不相応に憐れまれ、祝福されていることを喜びながらも、どこかでいつもそれゆえの妬みや恨みに耐えているような気持ちがあるのです。
そしてそれこそが、私の問題。
私の赦すべきUnforgibableなのだと思いました。