Saturday, October 12, 2013

埋もれている夢を掘り出す21日間 Day6 Starting Over

古いものは過ぎ去って、
見よ、すべてが新しくなりました。
Ⅱコリント5:17
苦しい思い出やつきまとう恐れ、自責の念、羞恥心や罪悪感などに圧倒されてしまうときがあったとしても、「今」に現される神様の力は、過去の出来事の制約を受けません。
本当です。
あなたも再出発できます。
実は、相手を赦した後、再出発の第一歩に最もふさわしいのは、あなた自身を赦すことなのです。
再出発と、自分を赦すことは密接につながっています。
罪をすべて告白し、神様の赦しを受け入れ、そして、自分自身を赦さなければならないのです。
自分を赦すことは、神様のとてつもない愛を信じ、驚くほどの恵みとあわれみを受けることから始まります。
全能の神様が私たちを赦してくださるのに、その神様が、赦すだけでなく、忘れてくださったことにまでしがみつくなんて、私たちは一体何様なのでしょう。
時間を戻せないといらだつのではなく、新しい結末を創り出してみてはいかがでしょうか。
神様の赦しのたぐいまれなところは、それによって新しい結末が可能になるというこです。
神様の驚くほどの恵みとあわれみは、罪の行為を記憶にとどめません。
聖書には「東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される」とあります。
神様は、「もはや、彼らの罪を思い出さない」と言っておられます。
たとえ記憶に残っていたとしても、赦しは神様がくださった、手放すという力の現われです。
その出来事は、もはや私たちをコントロールしたり挫いたりする力を持たず、代わりに、心の知恵を深める経験となります。
その経験が、人に対する共感やあわれみを与えてくれるのです。
スー・オーガスティン
土曜日の日本語学校で働いていた日々のこと、辞めた日のこと、その後の苦しかった日々のことを思い出しました。
でも、もうどこにも痛みを感じることはありません。
神さまに赦され、学校に赦され、担当していた子どもたちに赦され、賢人にもはなにも赦され、そして最後に自分から赦されて、そして終わりました。
私は今、幼稚園で、キンダーエイジに日本語を教えています。
今までやってきたどの仕事と比べても、これほど、自分に合っている仕事はないかもしれません。
ピアノのレッスンも、リトミッククラスも、3歳児の担任も、4歳児の担任も、マミー&ミーも、長野まで行ってやったバイブルクラスでさえ、これほどの祝福はなかった。
自分の中から喜びと一緒にあふれ出てくるアイディアを、出口を狭く絞ってこぼれてしまわないようにしながら、このクラスをすすめています。
再出発はできます。
絶対。
誰でも。
神さまが一緒なら。