Tuesday, October 16, 2018

詩篇 65篇

幸いなことよ。
あなたが選び、近寄せられた人、
あなたの大庭に住むその人は。
私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の
良いもので満ち足りるでしょう。
詩篇 65:4
私も、自分で、自分のこと、神さまに近寄せられた幸いな人と思っているおめでたい人です。
そして、主の大庭に住んでいると信じているずうずうしさ。
幻想かもしれないけど、何ひとつ良いものに欠けたものがなく満ちたりている気がしています。
昨日、賢人がアーバインに引っ越して以来、一度も洗ったことのなかった車をやっとの思いで洗いに行きました。
閉店寸前のカー・ウォシュに滑り込み。
小さな枯葉や鳥の糞がこびりつき、そこに泥と埃が、層をなしていて、駐車場で、車に近づくのが恥ずかしいほどでした。
運転中はどれほど汚いか見えないから平気だけど、それでも、フロントガラスを始め、全てのガラスの汚れは、危険な状態をとうに超え、いちいちワイパーでゴミを寄せなければ発車できず、いちいち窓を開けなれば左折も右折もできないほどだったのです。
6ドルを払って、洗車機に車を入れ、フロントガラスの泥が洗い流される様子にうっとりし、ブロウされながら、心からしみじみ幸せと思った。
ホースや石鹸やブラシを持つことなく、足元や服やびしょびしょにすることなく、車がきれいになりました。
フロントガラス越しに見る世界は本当にきれいだった。
神さまのお造りになった世界。
★賢人がいなくなって、不便だと勘違いしているかもしれないことは、もうひとつあって、それは、私の生活必需品がかなりミニマムだったので、あの子に、鍋をひとつ、爪切りをひとつ、と持たせた結果、色々足りない気がする不信仰者な私。
昨日、夫が自分用に爪切りを買っていた・・・。