言い換えれば、
霊的成熟の証明は、
今どれほど「きよい」かではなく、
どれほど自分の不純さを自覚しているかどうかである。
その自覚こそが恵への扉を開くのだ。
久しぶりの聖書以外の読書日記です。
あまりも、インパクトのある、衝撃的なこの一文のために、この本の全てを紹介したくなってしまいました。
文章を読みながら、あまりにもたましいに優しく触れられるので、書かなくちゃと思いました。
ピアノも弾きたくなりました。
毎朝のプールでの祈りに、霊的にそして音楽的に豊かな渇きを私に与え続けてくださいっというのがあります。
その答えだと思います。