Wednesday, October 17, 2018

詩篇 66篇

私は、この口で神に呼ばわり、
この舌であがめた。
もしも私の心にいだく不義があるなら、
主は聞き入れてくださらない。
しかし、確かに、神は聞き入れ、
私の祈りの声を心に留められた。
ほむべきかな。神。
神は、私の祈りを退けず、
御恵みを私から取り去らなかった。
詩篇 66:17~19
丸一日、全く、心に不義を抱かないという経験をしたことがあるでしょうか。
「ある」という人の本を読んだことがあります。
確か、名前はブラザー・ローレンス。主の宮で働くカソリックの司祭さんでした。
彼のチャレンジは、少しづつ記録を伸ばしてゆく方法で達成されました。
私、とり合えず、朝、起きて、お弁当を作って、ちょっと家事をして、プールに行って、約1000を泳いで、ジャグジーで温まるぐらいまでの時間は、おおむね大丈夫。
でも、その後、スチームでぼんやりとなっているあたりから、いろんな迷いが心に忍びこみ、自分を守る方法をあれこれ思い巡らしたり、時間の節約法や切り捨てる部分を探し始め、シャワーを浴びる頃には、いろんな悪知恵が私の心を占拠し始めます。
それでも、心に不義がなかった瞬間の祈りは、届いていると信じている。
私、自分でもとてもずうずうしいと思うけど、「神は、御恵みを私から取り去らないかった。」そうきっぱりと信じます。アーメン
でも、今朝は、このみことばを握り、ブラザー・ローレンスに習って、せめて、シャワーを終えるところまで、心を聖霊を満たしておこう。
★生活必需品がミニマムだったので、賢人に色々ひとつづつ貸してあげたら、不便になったと思いそうになった話の続きです。
そのことによって生まれたスペースを恵みと考えることにして、大きすぎて、洗濯室の片隅に置いていた大鍋を私のお鍋キャビネットに入れてあげました。
鋳物だから、これからの季節、蟹を蒸したり、チキンを丸ごと茹でたり、カレーやスープを8人分ぐらい作りたい時にどの鍋で作るよりもおいしくできて、大活躍の鍋です。