Monday, January 18, 2021

忘れものを捜して

 私が捜しても、あの方は見あたりませんでした。
雅歌 3:1

私が最後にここに帰って来たのは2018年の冬でした。
そして、父と母は受洗しました。
3年前のことです。
この3年間の父と母の暮らしは、たいへんすぎて書くのも苦しいほどです。
お兄ちゃんの喉が癌が再発しました。
手術はしませんでした。
日々弱っていくお兄ちゃんが、ある夜、2階の階段が落ちました。
救急車を呼びました。
肩を骨折していました。
お兄ちゃんが母が部屋に入ってきて、洗濯物を集めたり、掃除したりするのを嫌うようになりました。
その後、母は脳に血を溜めてしまう病気になり、座ったっきり、口をきかなくなり、ある日、父に連れられ病院に行き、そのまま大学病院に運ばれ、数時間後に手術を受けました。
手術はうまくいって、母は話すことも、動くこともできるようになりました。
記憶も取り戻しました。
でも、この頃から何かが少しづつ壊れていったのかもしれません。
その半年後痛み止めで朦朧として、ほとんど動かなくなったお兄ちゃんは、ある夜(なぜか問題はいつも夜に起こる)大量の吐血をし、救急車で運ばれ、そして、次の夜、亡くなりました。
昨年の8月です。
10月、父は手術をしました。
そして、12月、やっとのことで、私は主によって、この家に帰ってくることができました。
母は、今、失った何かをいつも一生懸命に捜しています。
私は側で、母が捜しているものを一生懸命に知ろうとしています。
今朝のスポルジョンのメッセージの中にこんなことばを見つけました。
「20マイル前進する方が、忘れものを取りに帰るため1マイル後退するよりも楽である。」

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