Monday, January 11, 2021

再び、ナザレ人をめざして


あなたがたはキリストのものであり、
キリストは神のものである。
1コリント 3:23

「あなたは、父なる神により、御子キリストに与えられたがゆえに、キリストのものである。
キリストが血をもってあがなわれたゆえにキリストのものである。
自分自身をキリストにゆだねたがゆえにキリストのものである。
行いによって世に示せ。全力をしぼって働け。
あなたはキリストのものなるがゆえに、常にクリスチャンらしくふるまい、ナザレ人のように話し、行いは天の香りを放ち、あなたを見るすべてが、あなたを救主のものであると認め、あなたの中に救主の愛と聖潔を見得るように。」
昨日の、私の、あまりのぐ〜たらぶりを見るに見かねたスポルジョン先生のカツのようなメッセージに、はっと我に返る私。
「先は長い」のではなく「先は知れない」のでした。
あるのは今日という日。
その今日という日すら、キリストのものであって、私はキリストに自分を委ねた者であったのでした。
ごめんなさい、神さま。
私のぐ〜たらとその言い訳を赦して、どうか再び立ち上がらせてください。
ナザレ人のように話し、天の香りを放つ者と、どうか、私をならせてください。

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