また私は見た。
見よ。子羊がシオンの山に立っていた。
黙示 14:1
「子羊こそは栄化された霊と聖い天使たちの賛美の主題である。
主にある友よ、ここにあなたの喜びがある。
あなたは子羊を知り、また見た。
涙に曇った目で、あなたは世の罪を取り除く神の子羊を見た。
やがてあなたの目から涙がぬぐわれる時、同じ子羊が王座に座しておられるのを見るだろう。
天とキリストは同じである。
天にあることはキリストとともにあることである。
あなたを幸福にするのに必要なもの、あなたをこの上なく幸福にするものは「キリストとともにある」ことである。」
すごい!どうして、私が、昨日の朝のスポルジョンを通したイエスさまの声を聞いて、目を涙で曇らせたことがわかったのだろう。
どうしてそのことを、古典であり、ベストセラーである「朝ごとに」に記されているのだろう。
私、確かに昨日、スポルジョンのメッセージを読みながら泣きそうだった。
イエスさまは私のこらえる涙を見て、はっきりと約束を果たしてくださった。
私を守るという約束。
私のピアノは誰の重荷にもなることなく、この家を出て、新しい弾き手に向かって導かれはじめました。
それは、この世で天国を思う私の秤を超えた、いえそもそもどのように量られるのか知る由もない天国の神さまの方法、「あげる」ではなく「うる」でした。
でも、きっとポイントはそこではないのでしょう。
ポイントはたぶん、「自分がうれしい」ではなく「誰かがうれしい」なのです。
そして、結果、私が、父も、うれしい、「この上ない幸福」となったわけです。
★写真は父のお供で行ったホームセンターのガーデンコーナーでみた怖い顔
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