ヨシャパテはタルシシュの船団をつくり、
金を得るためにオフィルへ行こうとしたが、行けなかった。
船団がエツヨン・ゲベルで難破したからである。
1列王記 1:48
「私たちが主を愛し、主のごとく聖潔で悪も汚れもなく、悪人から聖別されていることが、でき得ますように。」
今朝のスポルジョンのメッセージは、船に乗っている、みこころにかなわない人のことで、船は難破することがあるというものです。
ちょっと考えさせられるメッセージです。
関わらない方が良いこと、関わらない良い時というものは確かにあると思う。でも、関わらない方が良い人というのはいないと信じたいです。
昨日も朝のお散歩の中で、そういうことを祈りました。
どう反応すべきなのか、どう反応しないでいるべきなかの、どうか教えてくださいと。
神さまの導きと確信して、耐えようとしている時に、色々と不安になる材料を見るようなことがあったろしても、最初の確信を握りしめて、ぐっとふんばるために、私は大きく変わることを神さまに求められている気がする。
パウロのように。
パウロのように偉大になるという意味じゃなくて、パウロのように変わる・・・。
変わりたくないけど。
あまり。もう。
No comments:
Post a Comment