そこで女が見ると、
その木は、まことに食べるのに良く、
目に慕わしく、賢くするというその木は好ましかった。
それで女はその実を取って食べ、
いっしょににいた夫にも与えたので、夫も食べた。
創世記 3:6
あらゆる方法でまずは五感に訴えかけてくるのが、黙示録の12章で地上に投げ落とされる蛇のやり口。
その目的は全世界を惑わすこと。
彼の将来は火と硫黄との池での、永遠の苦しみと20章でバッチリ書いてあるし。
人として身体の中で生きたキリストはその五感を超えた誘惑にさえ、打ち勝ってくださった。
昨日、大すきな「リーガル・ハイ」をお腹がよじれるほど笑いながら観ていて思ったけど、人はみな自分が神になりたいと願うように、この瞬間から、つまり創世記の3章6節から、地獄に向かって歩み始めたことが、はっきりとわかります。
一人として、その誘惑から逃れることはできない。
神は人として十字架にかかられることで、その誘惑を乗り越えて欲しいと、私たちに切望しておられると思う。