Tuesday, July 23, 2024

かたく立とう


日本に着いて4日めの朝です。
半分死んだみたいになって暮らしておりました。
母のいないこの家にいること、それ自体が苦しくて苦しくて、息をするのも大義なほど、何もできず、自分の部屋にさえ上がれず、居間に布団を敷いて寝起きしています。(いました)
今朝、ようやく自分の部屋に父の聖書を取りに行き、開くことができ、そして「朝ごとに」の7月24日のページから、神さまから大いなる励ましをいただき、息を吹き返しつつあります。
恐れてはいけない。
しっかり立って、きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。
きょう、あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。
出エジプト記の14章3節です。

月曜日、病院に母に会いに行きました。
母は看護師さんと一緒に廊下を歩いて現れ、私にやさしく微笑みました。
車椅子も点滴の台もなく、1人で歩いていました。
そして、私の率直すぎる「お母さん、帰りたい?」の質問に、まっすぐに「帰りたい」と答えました。
であるにも関わらず、専門家たちに強く勧められる「転院」の方向にことを進めることにしているこの状況に、大きな大きな圧迫と重みと苦しみを感じるのは、やはり、それが御心ではないからではないか、と今朝、やっと、この出エジプト記を読んで疑いをもつことができました。
かたく立とう。
母の「帰りたい」の中に主の御声を探す私に、誰がどんな不幸を予測したとしても、それへの責任は主のものではないだろうか。
そんな風に疑いはじめているのです。

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