Thursday, July 4, 2019

出エジプト記 2章 ②

ミデヤンの祭司に七人の娘がいた。
彼女たちが父の羊の群れに水を飲ませるために来て、
水を汲み、水ぶねに満たしたとき、
羊飼いたちが来て、彼女たちを追い払った、
すると、モーセは立ち上がり、
彼女たちを救い、
その羊の群れに水を飲ませた。
出エジプト 2:16,17
「すると、モーセは立ち上がり、彼女たちを救い、その羊の群れに水を飲ませた。」
生まれた家族からも、育てられた家族からも離れ、誰にも理解できない悲しみの中でひとりぼっちになってしまったいたモーセなのに、彼の義は、いつも神さまと共ににありました。
いいえ、神様の義は、モーセから離れることはなかった。
モーセにとって、本当の孤独は、神さま臨在の外側の世界にあったのかもしれません。
モーセの乳母として我が子を育てたモーセのお母さんが、モーセに与えたものは母乳だけではなかったのだと思う。
それは、神の律法、と書きたいけれど、そうじゃない、だって、それはこれから彼が神さまと共に書くのだもの。
そこにつながる愛。
神の愛と義。
今日は、独立記念日で幼稚園もお休みです。
ビデオで Prince of Egipt でも観ようかな。


Tuesday, July 2, 2019

医師からのメール

 外来では特定のドクターが主治医として診ているわけでなく、何人かの医師で診察させていただいています。
お父さんから聞いているとは思いますが、残念ながらのどと食道に癌が再発してしまい、もう本人はこれ以上の治療を望んでいません。治療する体力もないのが現状です。
 いずれ命の限界が来た時は在宅での看取りを、ご希望されいます。
私たちも、それに添えるように在宅ドクターに引き継いでいく予定です。
どのくらい生きれるのかが心配なところと思いますが、安易に数字は言えません。
本人の体力次第といったところです。
 眞紀さん、お兄様のことを気にされていて優しい妹さんですね。

朝ごとに 7.2

まことに私たちの心は主を喜ぶ。
私たちは、聖なる御名に信頼している。
詩篇 33:21
クリスチャンが最も深刻な苦難の中でもなお喜ぶことができるのは、幸いな事実である。
困難が彼らを囲むとも、彼らはなお歌い続ける。
のみならず多くの小鳥のごとく、彼らはかごの中にいる時に最もよく歌うのである。
「朝ごとに」C.H.スポルジョン
何の問題もない、完全な平和な時なんて、一生探しても見つけられない。
でも、心の中には聖霊の慰めと励ましがいつもある。
小さくなったり、大きくなったりするけど、でも、いつもある。
必ずある。
昨日は、あまりのてんやわんやで写真の一枚も撮れませんでした。
今日は、どうかな。
おたのしみに〜

出エジプト記 2章

彼女はその子をモーセと名づけた。
彼女は、
「水の中から、私がこの子を引き出したのです」
と言ったからである。
出エジプト2:10
読むたびのさまざまなな発見のある聖書通読の旅。
モーセとはエジプト人によって後から付けられた名前だったのですね。
ヨセフにも名前が与えらえました。
でも、聖書を読む人は、ヨセフをそうは呼びません。
ダニエルにも名前が与えられました。
でも、ダニエルはダニエルです。
モーセにはヘブル人の名前がなかったのでしょうか。
なかったのかもしれません。
匿名の赤ちゃんとして3ヶ月間隠し、パピルスの籠に寝かせ、そして、偶然を装い乳母として育てた母は、こっそりとでも、モーセに名前をつけるのを恐れたのかもしれません。
★愛って、知恵だと思う

Monday, July 1, 2019

看護師さんからのメール

主治医からは、外科的手術(摘出)ができない部位に再発しており、余命半年と告知されたようです。 
今後は、抗癌剤の投与をするか、しないか、迫られたようですが以前の抗癌剤治療のつらさと効き目がないという思いがあり、拒否されています。
わたしも、考え方は変わってもいいんですよとは言っていますが、覚悟はしていたと言い、今のところ治療はしないという方針です。
抗癌剤の投与をしないということならば、いわゆる積極的治療をしないということで、痛みのコントロールのみの治療になります。
現在は軽い痛みが右ののどの周囲にあります。
軽めの効果の痛み止め、カロナール細粒 を朝昼夕寝る前に1包づつのんでいます。
夜も眠れているようですし、しばらくはこの痛み止めで様子をみる事としています。
今後は痛みの増強が予想されますし、痛みがいろんなところに出てくる可能性があります。
身体が動けるうちは医大に通院して、痛み止めを処方してもらい痛みのコントロールを行います。
徐々にからだがきつくなってきて動けなくなってくるころから、入院するか、在宅医を入れるか選択してもらうことになります。
家で最後を迎えるか、病院で最期を迎えるか選択することになります。
ご両親がお家で看取ることが出来ればですが、在宅医をいれるということになり、無理であればホスピスに入院ということになります。
どちらを選択されても、最後まで痛みの緩和ケアを行い、本人様が苦しむことがないような状態にします。
私どももとても残念な診断となりショックを隠せません。今後、昌澄さまと過ごす日々を大切にしていただければと思います。
今後、本人さまの考え方も変化するかもしれません。
いずれにせよ、全面的にご両親、本人様、もちろん妹様の考え方を尊重し援助していきたいと思っています。
文章の内容が冷たい内容になっていますが、一般的な流れです。申し訳ありません。
私の携帯の電話番号をお知らせしておきます。
★小さな、私の信仰では抱えきれない痛みです
どうかお祈りください
どう、祈れば良いのか示されるよう、’お祈りください

朝ごとに 7.1

その日には
エルサレムから
湧き水が流れ出て、
その半分は東の海に、
他の半分は西の海に流れ、
夏にも冬にも、それは流れる。
主は地のすべての王となられる。
その日には、主をひとり、
御名もただ一つとなる。
ゼカリア 14:8,9
エルサレムから流れ出ずる生ける水の流れは、夏の炎暑にも涸れることなく、吹きすさぶ冬の寒風にも凍ることがない。
季節は移りあなた自身も変わる。
しかし主はとこしえに変わりまさず、その愛の流れは依然として深く、満ちている。
神の恵みを変えることはできない。
「人は来たり、人は去る されど永遠に我は流る」
「朝ごとに」C.H.スポルジョン
7月1日、今日から幼稚園のサマープログラムが始まります。
子どもたちはもちろん、働き人も十分に与えられ、ブランニューの月案を手に、まさにエルサレムの流れ出ずる生ける水のほとりの幼稚園の夏です。
新しい遊びやゲームや実験で盛りだくさんのプログラムにワクワクしています。
このワクワクを伝えられるよう、自前カメラを教室に持ち込もうと思います。




創世記 49章

ヨセフは実を結ぶ若枝、
泉のほとりの実を結ぶ若枝、
その枝は垣を超える。
創世記 49:22
良い死というものがあると思う。
スポルジョンも言っていた。
「死は幸いである。なぜならその時神の力が私たちの仕事着を脱がせ、朽ちることのなき結婚の晴れ着をまとわせるからである。」
ヤコブもヨセフも、とても良い死であったと思う。
死というものと真剣に向き合ったことがるでしょうか。
私は、ありません。
未だかつて身内を亡くしたことなど、ただの一度もないのです。

今日で、創世記は終わり、明日から出エジプト記です。

★写真は去年の夏に湯布院で買ったネックレス
左は自分に、右はコ・ワーカーへのお土産
私の故郷の名産です