Wednesday, December 4, 2019

エレミア書 9章

誇る者は、ただ、これを誇れ。
悟りを得て、わたしを知っていることを。
わたしは主であって、
地に恵と公義を行う者であり、
わたしがこれらのことを喜ぶからだ。
エレミア 9:24
エレミア書と並行して読んでいる士師記は17章と18章を読みました。
一見、かわいそうなミカさんのお話だけど、よくよく考えながら注意深く読めば、ごもっともな展開であることを知りました。
主の恵と公義を愛することは、本当のハッピーエンドを信じること。
そして本当のハッピーエンドは天にある、とは、まさに前回の礼拝メッセージで教えられたことでした。
外は、雨です。
お庭で遊べない分、子どもたちにもっともっと近くに寄り添い、クリスマスをお祝いできる喜びを、共に味わいたいです。


Tuesday, December 3, 2019

こんじょうなし②

昨日はあまりのがっかりとぐったりに、人生を丸ごと放り出しそうなったけど、放り出さなくて良かった。
放り出す気配を察した神さまが、私に大きく譲歩してくれたのだと思う。
だって、祈ってさえいないのだもの。
根性がなくても、人生は主の憐れみによってなんとかなるという証かもしれません。
ジッサイ、根性のなさそうな人の人生の方がなぜか祝福されて見えるのが、この世の不思議のひとつです。
no longer 頑張るけど、今いっとき、とりあえず、立っている間だけでもなんとか支えてくださろうとする主の憐れみに心から感謝です。

Monday, December 2, 2019

こんじょうなし

休暇明けの月曜日だからヘヴィなのか、ただ単に私に根性がないのか、よくわからないけど、とっても重い一日がともかく終わりました。
やれやれ。
根性といえば・・・。
休暇中に賢人とクルマの中でおしゃべりしていて、私が「はな、えらいよ、とっても根性ある」、って言ったら、賢人に「根性ってなに?」って聞かれてかたまっちゃた。
それは、ちょっと説明が難しい。
Tough? ちょっと違う Work Hard? もっと違う。
根性って、痛みをともなった捨て身な努力なのよね。
アメリカ人には一生かけてもわかんない気がする。(実は私もあんまり詳しくわかりたくない・・・)
というわけで、やっぱ、私にはこの根性というセンスがないのだと思う。
黙っているって、ただそれだけのことに、精も根も尽き果てるかのような力を使いきり、ほとんど何もしていないにも関わらずヘトヘトです。
毎朝40分泳ぐとか、長距離通勤6年頑張るとか、それ、実は根性とは全然関係ないのよね。
あはは。



ピリピ人への手紙 4章

Rejoice in the Lord always.
I will say it again:
Rejoice!
Philippians 4:4
昨日の礼拝メッセージのテキストの冒頭部です。
「物語の終わりが勝利であることを知っているから、物語を楽しむことができる」という牧師の言葉がとても印象的だった。
ここは、私たちの家ではない。
いつも天を見上げていなければならない。
そこにある、とてつもなく良いものに期待しよう。
5節、「あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。」。
★犬のじょえるだって、こんなに私たちに寛容なのだもの。
私、もっと寛容にならなくては。
感謝祭の休暇に入る前、「もうムリかも」と思いながら、仕事を終えて帰路につきました。
でも、今朝、「いや、もう少し頑張れる」と思って仕事に戻ります。
私の寛容が足りなくても、無限の寛容が私を守ってくださる。きっと。

Sunday, December 1, 2019

こたつでひとりビールのサンデーナイト

★日曜礼拝、いかがでしたか。
私は今週も、霊的にたっぷりといただくことができました。
心の奥深くの、自分でも気づくことのできない渇きに届く、愛に満ちた、ぬくもりのある、いえ、熱いメッセージに、今日も感謝でいっぱいです。
ピリピ人への手紙の4章から、喜んでいなさい。どんな時でも。願いなさい。祈りなさい。そして優しくすること。
シンプルな5つの神さまから私への願いをありがたく引き受け(できるかどうかは別として)、代わりに素晴らしい主の平安をいただいて帰ってきました。
★賢人をアーバインに送ってきました。
また、ちょっぴり寂しくなります。
クリスマスの休暇はもうすぐそこだけど、ファイナルの準備でぴりぴりしていたので詳しいことは、あまり聞かずに別れました。
バレエスクールを代わって初めてのはなの「くるみ割り人形」は、なんとか家族揃って観に行って応援したかったけど、今週末はファイナルの真っ只中と聞き、言い出せませんでした。
でも、その代わりのように、はなの幼稚園時代の担任のゆりかせんせいと、私の教え子の孫のマディが観に来てくれることになりました。
感謝すべき主の恵み、はなへの大いなる励ましとなることでしょう。
★今日は、はながリハーサルで、賢人はサウスベイでの礼拝、私はローリングヒルズでの礼拝だったにも関わらず、3人のそれぞれの活動と時間が1台の車で、ちゃんとなんの無駄も支障もなく守られたのに、ランチだけがなぜか、いえ、理由は人気の店だってことで4時近くにまでなってしまい、全くお腹の空かない夜です。
夫が、私が買って帰ったお刺身を切り分けて、持ってきてくれました。
どこに。こたつです。


今日のランチ〜坂内・喜多方ラーメン

 賢人、味噌ラーメン↓
 はなと私、茹で野菜ラーメンと辛いご飯↓
 プラス唐揚げ↓
 写真左の人があそこで麺を切っていました
つるんとした太めの麺がなんとも好きだった
(ここだけの話、賢人は、私の唐揚げの方がおいしいと言っていた
まあ、ラーメン屋さんだから、唐揚げはどうでも良いけど)

士師記 16章

サムソンは主に呼ばわって言った。
「神、主よ。
どうぞ、私を御心に留めてください。
ああ、神よ。
どうぞ、この一時でも、
私を強めてください。
士師記 16:28
そして、神さまは、サムソンの悲しい最後の願いを聞き遂げ、彼に力を与えます。
30節、「そしてサムソンは、『ペリシテ人といっしょにに死のう』と言って、力をこめて、それ(宮を支えている柱)を引いた。すると、宮は、その中に領主たちと民全体との上に落ちた。こうしてサムソンが死ぬときに殺した者は、彼が生きている間に殺した者よりも多かった。」
すっかりこたつ好き
はな&じょえる
襲い来る敵を倒すことが、王国成立以前のこの時代の士師たちの祝福だとしたら、サムソンは命と引き換えに、最後に、盛大な祝福をもらったことになります。
それにして、悲しい話です。
サムソンの弱みが石や木を掘った偶像や、その偶像の教える狂った教えではなかったところが、なんとも悲しい。
さみしがり屋のサムソン、いつも女性と一緒にいたかったサムソン。
私の一番の弱いところはどこだろう。
サムソンのような悲しい結末になる前に、それを、神さまに告白して、助けをもらいたいです。