Saturday, May 4, 2013

方針の変更

ここのところ、ずっと自分のことを書くのに夢中で、書きそびれいていたのだけど、先週、幼稚園のバス遠足で背の高い男の先生と隣どうしに座りました。
いつも一緒に仕事をしているのだけど、個人的な話をするのははじめてでした。
彼はサーファーだったので賢人の話をしました。
16歳なのだけど、まだ身長が160センチぐらいしかないのよね、やっぱり10歳からサーフィンをさせてるのがいけないのかしらと言うと、決してそんなことはないと思うと言う。
「ぼくもサーフィンをずっとやっていたし、ぼくの両親は決して背は高くないんです。でもぼくは寝るのが大すきでよく寝ていました。」
私がそこで「!」となったのは言うまでもなく、週末はとにかく好きなだけ寝かせる方針に変えました。
思えば、5歳ぐらいから、朝ゆっくり寝かせてあげることがなかった気がするのです。
私は自分が早起きだから、自分のことをさっさと済ませて、ピアノの練習を子どもたちの朝のお勤めとしていたのでした。
背に腹はかえられん!あじゃなくて、背にピアノはかえられん!
私は賢人にぜひともピアノの上手なオトコではなく、普通の背のオトコになっていただきたい。
ピアノはこのさい、どうでもよろしい!

お弁当を持って出かけよう

おはよう!
土曜日だよ。
どこに行こう、何をしよう。
誰に会う?何を食べる?
私は今日は、友だちとサン・ペドロの灯台の公園でピクニック。
おいしいロールパンで玉子サンドを作ります。
いちごも洗ってもっていこう。
どんな話をしようかな。
まずは日本語学校辞めたことを話そう。
それから、はなに「いっ」てさせよう。
前歯が2本なくなってこれだけでもりあがる便利なお顔になりました。


悪断25~キリストと信者のとりなし

まことに、まことに、あなたがたに告げます。
あなたがたが父に求めることは何でも、
父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。
ヨハネ16:23

「私たちは自力ではクリスチャン生活をまともにやってゆくことはできない。キリストのからだから離れてひとりで失敗や成功を経験するようには神は計画なさらなかった。私たちは励ましととりなしのゆえに、また親しい交わりからくる力のゆえに神の民を必要としている。」
「私たちの罪は決して個人的な問題ではない。〝私だけが傷つくのだ〟と言うことはできない。」
「私たちの挫折には神とキリストのサタンが関係している。」 
「地上での隠れた罪は天国では公のスキャンダルである。」
「私たちはサタンと対決して勝てるだろうか。死を経験して、無事その向こう側に到達できるだろうか。キリストはそれをなさった。主にあって私たちにもできる。」
「主は父なる神の右に座して、私たちのためにとりなしていてくださる。」
「どうしても勝てないように思えるあの罪のことを、もう一度考えてみよう。その戦いの結果は神にとって非常に重大である。それはキリストとサタンの争いであって、あなたが賞品だからである。」
「キリストだけが私たちのためにとりなしておられるのではない。この報いの大きい働きに、すべての信者が参加するようにと主は招いておられる。」
「神の子どもから離れて健全なクリスチャン生活を送ることはできない。」
「どんなときにも、自分だけで神に従っていると考えるべきではない。私たちには神に贖われた民も必要なのだから。」
アーウィン・ラッツァー
私の大祭司さま、
私がクリスチャンになったのは、誰かがそれを願ったからなのですか?
誰かの懸命な祈りによるのですか?
だったら、もう一度、その奇跡を私の人生に起こしてください。
私に私のためにとりなしてくれるクリスチャンの友だちをください。
アーメン
クリスチャンの親に育てられた人、クリスチャンの夫を持つ妻のここ一番の底力というか、大抵は大丈夫的な安定感はここからきているのではないかと考えてみる。
私は、今こそ私の大祭司であり、人類のとりなしのためにやってきたイエスさまにそれを求めよう。

求めなさい。
そうすれば受けるのです。
それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。
ヨハネ16:24
Day3:昨日は、夫が用意してくれた手巻き寿司のディナーでした。夫と賢人が大すきなのでまぐろとえび。はなと私はきゅうりとたまごと納豆。暑かったねって話ながら楽しく食べて、賢人が後片付けをしてくれました。私は、熱いお茶を飲みながらはなと絵本を読みました。食べ続けたい気持ちは起きませんでした。そして、今朝、このデボーションを終えてはっと思ったのです。日本語学校を辞めた挫折とからっぽ感から癒されたくて、神の赦しを確信したくて、このデボーションをはじめました。やがて、ビールをやめなきゃという気持ちに導かれ、決心をしました。その直後の、微熱と共にやってきた「あれ?なんだけ?」という不思議な感覚、「ただでくれるっていってもいらないよ、そんなもの」って感じだった。そして、それは今も続いている。そして、昨日、『はらぺこまきちゃん』を書いたら、急に、食べ続けたい気持ちが消えていたのです。これはもしや、このシェアリングがキー?というのが私の仮説です。外から中が丸見えになっちゃた牢屋には実は鍵はおろか、扉すらなかったのではと思いいたったわけです。どきどきどき。


Friday, May 3, 2013

はらべこまきちゃん


今週もあっというまに金曜日。
幼稚園のあおむしくんたちもあっというまにさなぎに変身したのに、私は、今だに、古い私のまま、依然、ビールを飲みたい誘惑に日々おびえながら暮らしていたら・・・。
なんと別な悪習慣にはまってしまいそうで、どうしようと心配しております。
それは何かと言うと・・・うっ。
おそろしいことに、食べ続けたいという、新たな欲求。
予想もしていなかった展開に、どどどどどうしようと、あわてています。

今日も帰りのクルマの中で大きないちごを数え切れないほどにぱくぱくぱくぱく。
昨日は、ディナーでおなか一杯野菜いためを食べた後に、チーズケーキ。
おとといは、ポテトチップ。
ああ、本当に困りました。
なんだがジーンズがきつい気がして、体重を測ったら3パウンドも増えていて、3回も測り直したほどです。
私は、筋金入りの依存症なのかもしれません。

情けなくて泣きそうです。
賢人に「そろそろゲームをやめて」という言葉にも力が入らず、心の中で、「そういうあなたがが余計なものを食べるのをやめなさいよ」と自分につっこみ、ごはん前に甘いものを食べるはなに、「もう、やめて」って言うかわりに、「ママにもいっこちょうだい」なんていう始末。
ああ、こまったこまった。

悪断24~意志を従わせるⅢ

それは、あなたがたが、非難されることのない純真な者となり、
また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、
いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。
ピリピ2:15、16
「あなたはは、神とこの世の間を行ったり来たりしているかもしれない。今、自分の欲望に引かれたかと思うと、次には神の求めに引かれる。」
「しかし、あなたが神の方向に近づけばそれだけ、この世が引きつける力は弱くなる。選択が楽にできるようになる日がきっとくる。神に〝はい〟とい言うことが習慣になってくる。」
「神に〝はい〟と言わないかぎり、誘惑に対して〝否〟と言うことはできない。磁石と同じで、この世の引きつける力は決して失われない。」
「だが聖書に啓示された神にあなたの注意を向けると、この世の影響力の圏内から出ることができる。」
「御霊の九番目の実は自制である。自制ということばは字義通りに自分を抑えることを意味する。欲望をより高い理想のために支配することをさしている。」
私の神さま、私には足りないところがたくさんあります。
けれども、今朝、一つのお願いをします。
どうぞ、私に自制の実をならせてください。
私がそれを、この生涯をかけて、ならした一つの実として、
私の生んだ子どもたちに残すことができますように。
アーメン
そう、欲しいのは自制の実。
少しづつ、少しづつ、なりたい自分がわかってきました。
わが神。
私はみこころを行うことを喜びとします。
あなたのおしえは私の心のうちにあります。
詩篇40:8
Day2:すごく暑い日だったけど、冷たいお水をごくごく飲んで、にんじんとブロッコリーと白菜とミニコーンの薄い味つけの野菜炒めをもりもり食べました。大きなお水のコップのそこから、新しい世界が見えた気がしました。



Thursday, May 2, 2013

悪断23~意志を従わせるⅡ

私は切なる思いで主を待ち望んだ。
主は、私のほうに身を傾け、私の叫びをお聞きになり、私を滅びの穴から泥沼から、
引き上げてくださった。
詩篇40:1,2
「神の要求に反抗し、自分の気が向かないことからうまく逃れようとするとき、あなたの意志は必死になって生き延びようと戦っているのである。しかし神に〝はい〟と言うとき、神の御旨を行う能力をあなたは発見する。力は服従によって得られるのである。」
「目前にあるあなたの関心事と、神の長期の目標の対立は簡単に消えるものではない。しかしひとつの解決がある。自分自身を神にゆだねると、聖霊がそうした葛藤を解決し始められる。ばらばらになっていたあなたの人生を一つにまとめてくださる。選択の基準として主の真理を示してくださる。あなたが今までしらなかった、一つの目標に向かって専心する態度を教えてくださる。主の愛と公正の中に生きる報いを示してくださる。しばらくすると、神が要求なさることは多くの場合、実は自分の行いたいことだ、と気づいてくる。」
天の父なる神よ、
あなたは私を全ての悪の働きから守ろうと、
その御手は私をどこまでも追い、
あなたの御目は決して私から離れません。
まるで駐車場の中を走り回る子を守る親のように。
あなたの大きな愛と守りに感謝します。
アーメン
そろそろこの駐車場で神のクルマにさっさと乗り込み、次のステージへと移動しなくちゃと思う。
本当にもう〝そろそろ〟と思うのだ。
神が私にくださった人生は駐車場で長い間、遊ぶにはあまりにも短く、そして神がお造りになったこの地上は駐車場で長い間遊ぶにはあまりにも広く、美しい。
そして私の足を巌の上に置き、
私の歩みを確かにされた。
詩篇40:2
Day1:5月1日から再スタートしました。あきらめない。きっと自由になれる。神はばらばらになっている私の人生をきっとひとつにまとめてくださる。



Wednesday, May 1, 2013

水曜日の道草


仕事の帰りに大分の友だちに会って帰りました。
私が一方的にメールで指定した待ち合わせ場所のすぐ隣が、彼女の夫が音楽奉仕を勤める教会で、そしてなんと私が一方的にメールで指定した時間が、まさにそのリハーサルがはじまるちょうど1時間前ということで、楽しくおしゃべりした後、リハーサルを聴いて帰りました。
カメラがポケットになくてざんね~ん、iPodでくるしい撮影です。
友だちのメグちゃんはこちらで、この日に歌うそうです。
毎日、彼女の生活圏に仕事で通っていながら、なかなか会ってゆっくりおしゃべりすることがなかったけど、思いきって会いに行ってよかった。
また、近いうちにねって約束して別れました。
アメリカで唯一の日本の田舎の友だち、貴重な存在です。