Thursday, January 3, 2019

エゼキエル 34章 その2

見よ。
わたしは自分でわたしの羊を探し出し、
これの世話をする。
わたしは失われたものを捜し、
迷い出たものを連れ戻し、
傷ついたものを包み、
病気のものを力づける。
エゼキエル 34:11&16
8節に、「それなのに、私の牧者たちは・・・」とあります。
主は、牧者をも、「私の牧者」と呼んでくださる。
主の牧場に行こう。
主の牧場で神と平和の契約を結び、私は安心して熱心に小さな小さな羊を見張ろう。
青い草と豊かな木の実と、季節が産する豊かなものに満ちた丘で、熱心でいよう。
佐々木正美の本を平行してして読んでいます。
「子どもに依存する孤独な親」というタイトルでこんな文章を見つけました。
適当な写真がないから
無意味なツーショット
母親の幼児虐待の原因は、親の育児不安や孤独、夫婦の関係が良くない場合が多いと述べた後の、文章です。
「不安が大きい人ほど、子どもを操作しすぎると思います。大の大人が小さい子に、ただつかまっているわけにはいきません。どういうつかまり方をするのかというと、自分が気にいるような子どもにして、精神的に満たされようとするのです。」
「子どもは自主性、主体性を失って、ときには、かん黙になる、自分の判断で安心して口をきくことが、できなくなってしまうのです。」
本当に気をつけなければならないと思う。
自分の態度はもちろんのこと、親の様子にも、子どもの様子にも。
これから先、彼らを真心で受けとめる場所がますます必要な世の中になってゆく気がする。
小さな子どもを長時間預けて働くことがあたりまえのアメリカ社会だから、私たちに委ねられた責任は本当に大きい。


Wednesday, January 2, 2019

仕事初め

仕事初めの今日、超マイペースな私が、ちょっぴり緊張して出勤したにも関わらず、まるで、何事もなかったかのように、昨日もその前も毎日一緒にいたかのように子どもたちに囲まれ、平たくスムーズなスタートとなりました。
だから、私は幼稚園が好き。小さな人たちが大すき。
6時のプールの水が冷たかったことを、6時に、プールで思い出し、ブルブルと震えながら123えいっとがんばりました。
ガタガタと震えながら泳いで、体が温まるまで、祈るどころではなかったけど、慣れなくちゃね。
すぐに慣れると思う。
これが私の唯一のひとり時間だから。
家族や職場、教会から離れ、ひとりっきりで祈れる静かな時間。
職場に心から感謝なスタートとなりました。
チームワーク。
それが、主がくださった私の知恵、私の武器。



エゼキエル 34章

ああ。自分を肥やしているイスラエルの牧者たち。
牧者は羊を養わなければならないのではないか。
あなたがたは脂肪を食べ、羊の毛を身にまとい、
肥えた羊をほふるが、羊を養わない。
弱った羊を強めず、病気のものをいやさず、
傷ついたものを捜さず、
かえって力づくと暴力で彼らを支配した。
彼らは牧者がいないので、散らされ、
あらゆり野の獣のえじきとなり、
散らされてしまった。
わたしの羊はすべての山々やすべての高い丘をさまよい、
わたしの羊は地の前面に散らされた。
尋ねる者もなく、捜す者もない。
エゼキエル 34:2~6
心痛むみことばです。
主は、「わたしの羊」と私を言う。
主は、「わたしの羊」と私に託してくださった私の子どもたちを言う。
主は、「わたしの羊」と私に預けてくださる子どもたちを言う。
誰のために何を任されているかを忘れずにいなければ。
児童精神科医の佐々木正美という人の書いた、「子どもへのまなざし」という大きな3冊の本が私のもう一つのバイブルです。
仕事で必要な具体的な知恵は、全て、このクリスチャンの先生から学びました。
そこに、こんなフレーズを見つけたのでシェアします。
「孤独ということは、人間にとってはそれ自体、存在の根源をゆるがされることですから、健康ではいられないのです。私たちは職場の同僚にだいじにされることが、そして、自分も相手をだいじにしながら、働くことがたいせつなのです。人間の生の営みは、どんなに個人的な働きをしているようにみえても、すべて相互関係なのですから」
心して、主のくださる仕事に取り組みたいです。


Tuesday, January 1, 2019

Hello 2019 !

どんな冒険が私たちを待っているのだろう
誰にもわからない
でも神は知っている


今日のおやつ〜漬物味のレモネード


冬休みの終わりに

おはよう。
新しい年が明けました。
夫は今朝も仕事です。
賢人は、大きなお椀とお箸を持って、(その様子があまりにも可愛かったから、思わず、抱きしめて、「たくさんの恵みをいただいてきてね」と言いました)元旦礼拝に行きました。
お雑煮を食べて帰ってきます。
賢人とはなはもう少しあるけど、私は今日で冬休みも終わりなので、午後から、はなとお出かけしてきます。
さて、シャワーを浴びて遅い最終日をスタートさせよう。
★どこに行くなんて、本当は全然決まっていない。
ただ、この新しいセーターとお帽子をかぶって外に出たいだけ。
はなと腕くんで、ビーチをお散歩してこようかな。
それとも、あたたかなモールを歩こうかな。
いえいえ、やっぱり、サンペドロの穴場探しでしょう、最終日っちゅうことで。
う〜ん、シャワー浴びながら考えよう!




エゼキエル 33章

正しい人の正しさも、
彼がそむきの罪を犯したら、
それは彼を救うことはできない。
悪者の悪も、
彼がその悪から立ち返る時、
その悪は彼を倒すことはできない。
エゼキエル 33:8
このみことばを読んで、ホッとするでしょうか。
それともドッキリしますか。
私は、いつも、無責任にホッとします。
でも、今朝は、ここではなくて、その少し前の、8節にドッキリしました。
それはこう。
“わたしが悪者に、「悪者よ。あなたは必ず死ぬ」と言うとき、もし、あなたがその悪者にその道から離れるように語って警告しないなら、その悪者は自分の咎のために死ぬ。そしてわたしは彼の血の責任をあなたに問う。”
それは、一体どんな責任なのだろう。
そして、無責任にホッとした気もちを直ちにに悔い改め、こう思う。
人の心や人生はそんなにシンプルじゃない。
悪とか善とか、正しいとか誤っているとか、どうやって判断して良いのかわからないことだらけだと思う。
だから、どうか、私をエゼキエルにだけは、決してしないでくださいと祈ります。
★新しい年だから、カップを新調しました。
ギフトです。
でも、実は、あのいつも使っていた大きなカップ、はなに取られちゃったみたい。
あれで、自分でラッテを作って飲んでいます。