Saturday, May 15, 2021

サーバーのポリシー

高ぶらないように。
また、たよりにならない富に望みを置かないように。
むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくれる神に望みを置くように。
1テモテ 6:17

「私たちの主イエスは常に与えたもう。
彼は常に輝く太陽であり、宿営の周囲に降り注ぐマナである。
その恵みは朝ごとに新たであり、夕ごとに改められる。
刻々に落ちる砂時計の砂でさえも、彼の恵の豊かさを表わしえん。」
今朝のスポルジョンのメッセージに、心からアーメンと言います。
父が亡くなり、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れ、昨日、はなに電話で、「ママ、もう日本に疲れちゃった」と言ってしまったことを後悔しています。
日々のマナは、ここに降ったのに。
この国の人々が私と私の母と、そして父を最後まで支えてくれたのに。
優しく、丁寧に、ゆっくりと。
最後の最後まで大切にされた。愛された。
この国で。
だから、もう二度と、そんな口の曲がったことは言うまい。
☆昨日の朝書いた記事がサーバーによって削除されました。
Eメールが来たので、読むといじめや猥褻な記事は載せないというポリシーに反しているという理由。
ふ〜ん、と思っていたら、今朝、記事が私の所に戻ってきていたので、再びそのままアップロードしました。
☆はなに「日本に疲れた」と言ってしまったのは、水族館のレストランで小さなグラスに自分でお水を汲まなければならなかったからなのだけど、これは日本で入ってみたレストランたったの4軒中2軒めだったのでがっかりしたのです。
しかもひとりだったから。
これからは、事前にお水をサーブしてもらえるかを調べればすむと思って気を取り直しました。

Friday, May 14, 2021

今日のランチ〜大盛り特大たまごかけごはん

素敵な大分のおばあちゃんちを目指して


信じる者はみな、この方によって、
解放されるのである。
使徒 13:39

「私たちは今日愛する御子によって受け入れられ、今日罪を許され、今日神の法廷から無罪放免されているのである。
私たちは今という今、罪をゆるされ、今罪を取り去られ、今、これまで一度も罪を犯したことがないのと同じ状態で受け入れられている。
あえて神の民を告発せんとする者は誰か。
義とされて神の民となった以上は何人といえども、全地のさばき主の御前に一点の汚れもしみもしわもないのである。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
神が民とされているかもしれない人のことについて、いいえ、もし例えそうでなくとも余計な事は何も言いまい。
ただ、自分の責任の部分だけを、誠実に果たそう。
なぜなら、私自身が、神が民としてくださっているにも関わらず、ある時、ある場面の中で、よくわからない行動をとってしまうことがあるのだから。(実際、この5ヶ月の間だけでも何度かありました)
そして、それも、神さまは必ず赦してくださるのだから。
全くタイムリーなメッセージでした。
「過去」から物々しく穏やかでない質問が投げかけられた矢先だったのです。
私は、全ての問題に答えを用意され、手取り足取り主に導かれている幸せ者です。

さて、「未来」について。
父が母と私に残してくれたものの受け取りの手続きや、片付けなければならないものの整理について1人で進めることのできない日、(つまり、必要な書類を待っている間とか役場や会社がお休みの週末など)は、「素敵な大分のおばあちゃんち」作りに励むことにしました。
「素敵な大分のおばあちゃんち」は電球や蛍光灯が切れてはいけないので、こちらを出る前に新品に入れ替えよう。
そして、買い置きもなければならない。
母は交換しないだろうけど、もし切れたことがわかれば、ヘルパーさんに買い置きの場所を伝えておけば、取り替えてもらえるようにしておきたい。
そして、「素敵な大分のおばあちゃんち」の庭木はいつもきれいに刈り込まれていなければならないし、冷房も暖房も簡単に使えなければならない。
ストーブはしまって帰るけど、11月ぐらいにはすぐに出せるように、場所を決めておいて、それもヘルパーさんに伝えておこう。
「素敵な大分のおばあちゃんち」にはいつもお花があってほしい。
朝ごはんの食材のお買い物を週に一度、ヘルパーさんにお願いすることになっているけれど、その時に、季節のお花も買ってきてもらえるか聞いてみよう。
今日も、きっと良い日でありますように。
 

今日のランチ〜サーモンとほうれん草のスパゲティ

母がデイケアの日だったので、
水族館でひとりで食べました
お水がとってもおいしかった
でもグラスがあまりにも小さくて悲しかった
2回もおかわりして3杯飲みました
その都度、自分で汲みに行ったの
情けなくて涙が溢れそうになりました
お調理の方は量が少なめで良かった
っていうか、ひとりで外で食べてもあまりおいしく思えなかった

くらげずき


のんびりすることを目的に、ぶらりと水族館に行ってきました。
行ってよかったです。
本当にのんびりできました。
赤ちゃん連れのファミリーや、カップルがちらほらいるだけで、とても静かだった。
静かだけど、特に寂しい感じもなく、趣味の良い音楽の流れる薄暗い館内に座って、水槽の中を気もち良さそうに泳ぐ被造物を飽くことなく眺めてすごしました。
ここにはながいたらなって、何度も思ったけど、思うたびに、頭を振って思いを振り払いました。
もうすぐ帰れるから、今は考えずにいたい。
考えると「待つ」のが難しくなってしまうから。
水族館の水槽を見つめていると、自分がどこの国にいるのか忘れそうになりました。
今日はそれだけで十分。
私、くらげが大すき。
くらげをじっと見つめていると自分もくらげになったような気分になって、身体が揺れそうになります。
実際、今日は揺れていたかもしれません。
 

Thursday, May 13, 2021

「のんびり」が難しい


「待てない」気もちの理由、何が「待てない」かといえば、答えはひとつ。
家に帰りたい、家に帰るのが待てないほど楽しみなのです。
もう難しい判断をする必要もなく、恐ろしい悲しみを待ち構える必要もなくなった今、ここでじっと役場からの書類が届くのを待っていることにイライラとしていたのでした。
それさえ届けばはじめられる。それがなければ何もできない。って。
でも、実は私のイライラを除けば、全ては順調なのです。
母は現実をまっすぐに受け止め、健気にもとても明るく元気にがんばっています。
地域社会の支援を得ながら、自立への準備も順調に進んでいます。
家の中も少しづつだけど片付いています。
使わないものは分別しながらどんどん処分しています。
私の家族4人分のお布団が押し入れにきちんとしまわれ、トイレットペーパーや洗剤の買い置きも十分に備えました。
片付けの最中に父と母とふたりだけになってから使わなくなっていたような焼肉プレートやブレンダー、コーヒーミルなどが出てきたので出しやすい場所に置きました。
今年の冬はさっそく、はなと「大分のおばあちゃんち」を訪ねることになっているので、素敵なおばんちゃんちを目指して、がんばっています。
ノートでも、全てが順調で大丈夫なことを目で見て確認しました。
何もできることのない日は、ひらき直って「のんびり」することにしました。
それしかありません。
今の私にとって、とっても難しい「のんびり」。
それで「のんびり」のリスト作りもしました。
●テレビと読書
●水族館、動物園、植物園
●ドライブ
さて、今日は何をして「のんびり」しよう。

「待つ」ということ


あなたの目は前方を見つめ、
あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。
あなたの足の道筋に心を配り、
あなたのすべての道を堅く定めよ。
箴言 4:25,26

あまりにも心が落ちつかなかったので、昨日の朝、ついにノートを開いて、ひとりブレインストーミングをしてみました。
ほとんど1日かけて、心の中にあるさまざまなネガティブな気もちを単語に置き換え、文字にし、そしてそれを客観的に見たりしました。
自分が問題だと感じていることを書くのは、感じている以上につらいけど、でも、書いてしまえば、「ふ〜ん」と思えることばかりでした。
そして、今の私が問題視していることは、全て、私の「待てない」状況や状態、気もちから来ていることもわかってきました。
それで、今朝は、起きてすぐのお祈りに、新しいフレーズを加えました。
愛せますように、愛されますように。
赦せますように、赦されますように。
に続け、「待てますように、待ってもらえますように」と。
愛することは信じること、信じることは待つこととは、日野原重明の言葉。
命というものが自分の使える時間の中にあるというなら、なるほど、待つことは人のために時間を使うこと、そして自分のために使った時間と人のために使った時間が最後に天秤にかけられるとしたら、私は、安心して待たなければならないと思いました。
☆写真は、おととい図書館で借りた本
ひとりブレインストーミングの中で煮詰まると開きました。
この本の中に素敵なフレーズがあったので、ノートに書き取りました。
●本当に食べたいものをていねいに作る
●節約しながらも贅沢でありたい 楽しみを削りたくない