信じる者はみな、この方によって、
解放されるのである。
使徒 13:39
「私たちは今日愛する御子によって受け入れられ、今日罪を許され、今日神の法廷から無罪放免されているのである。
私たちは今という今、罪をゆるされ、今罪を取り去られ、今、これまで一度も罪を犯したことがないのと同じ状態で受け入れられている。
あえて神の民を告発せんとする者は誰か。
義とされて神の民となった以上は何人といえども、全地のさばき主の御前に一点の汚れもしみもしわもないのである。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
神が民とされているかもしれない人のことについて、いいえ、もし例えそうでなくとも余計な事は何も言いまい。ただ、自分の責任の部分だけを、誠実に果たそう。
なぜなら、私自身が、神が民としてくださっているにも関わらず、ある時、ある場面の中で、よくわからない行動をとってしまうことがあるのだから。(実際、この5ヶ月の間だけでも何度かありました)
そして、それも、神さまは必ず赦してくださるのだから。
全くタイムリーなメッセージでした。
「過去」から物々しく穏やかでない質問が投げかけられた矢先だったのです。
私は、全ての問題に答えを用意され、手取り足取り主に導かれている幸せ者です。
さて、「未来」について。
父が母と私に残してくれたものの受け取りの手続きや、片付けなければならないものの整理について1人で進めることのできない日、(つまり、必要な書類を待っている間とか役場や会社がお休みの週末など)は、「素敵な大分のおばあちゃんち」作りに励むことにしました。
「素敵な大分のおばあちゃんち」は電球や蛍光灯が切れてはいけないので、こちらを出る前に新品に入れ替えよう。そして、買い置きもなければならない。
母は交換しないだろうけど、もし切れたことがわかれば、ヘルパーさんに買い置きの場所を伝えておけば、取り替えてもらえるようにしておきたい。
そして、「素敵な大分のおばあちゃんち」の庭木はいつもきれいに刈り込まれていなければならないし、冷房も暖房も簡単に使えなければならない。
ストーブはしまって帰るけど、11月ぐらいにはすぐに出せるように、場所を決めておいて、それもヘルパーさんに伝えておこう。
「素敵な大分のおばあちゃんち」にはいつもお花があってほしい。
朝ごはんの食材のお買い物を週に一度、ヘルパーさんにお願いすることになっているけれど、その時に、季節のお花も買ってきてもらえるか聞いてみよう。
今日も、きっと良い日でありますように。
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