Tuesday, September 9, 2014

すんません、みなさま

こんなふうに書いたところで、誰ももう、はっとしてくれないだろうけど、今日もかなりはちゃめちゃな1日でした。
まるで、はちゃめちゃが私をシークしているよう。
まあ、そうかもしれません。
小さな頃から、私の人生は、毎日、かなりの確立ではちゃめちゃで、私の周囲の人は、そのまきぞいにあいながら、めずらしい体験をいろいろできるようです。
決して、自分が問題を作り出しているわけではないのだけどね・・・。
(って、信じているのだけどさ。)
ありがたいことにチャレンジな日々、チャレンジな人生でございます。
本当にありがたいと思います。
私のようにおめでたすぎる甘ったれの気分屋、わがままでうぬぼれのひとりよがりな自信家にはこれくらいはちゃめちゃなチャレンジで大体普通に努力できるのかもしれません。
いやはや。
まきぞいの人々の気持ちとはいかほどでしょう。
すんません、家族。
すんません、友だち。
すんません、みなさま。
すんません、私とはちゃめちゃを共有してくださっている人々。



Monday, September 8, 2014

葛藤・再び

私が神さまに捧げたい音楽って、どんなだろう。
それは、ハイキングでがんばって登った山のゴールで出会う滝つぼの滝とつぼのような音楽。
瑞々しくって元気一杯、それでいてどこまでも聖らかで平和。
それは、日曜日の早朝のビーチで出会う、大きい波や小さな波のような音楽。
こわいほどに大胆、それでいてじれったいほどに謙虚。
いやいや、そうじゃない。
私が神さまに捧げたい音楽は、そんな人のイマジネーションをはるかに超える、神さまへの愛の賛歌。
誰の夢でもなく、誰のビジョンでもなく、誰のゴールでもなく、とてつもなく大きなものへの歌わずにはいられない超シンプルな体の欲求。
私がやりたい音楽は、そんなこんなをクールに冷静に正しく正確に繊細に微妙に細かく奏でること。
できるできないは別として、その努力を惜しまないこと。
拙い技術を神の愛でカバーしていただけることを願いながら、決してあきらめないこと。
そして、生まれる葛藤。
音楽好きの私は辞めよと言う。
でも賛美したい私は従えと言うのです。
どんなであっても、それを、そう、自分の祭壇から、奉げよ。
まるごとの生贄とせよと。

Sunday, September 7, 2014

すちゃか・すちゃか・すちゃか・すちゃか・すかちゃ・すかちゃ・どんどん

どんな聖日をおすごしでしょうか?
私は・・・、私のは、はちゃめしゃでした。
すちゃか・すちゃか・すちゃか・すちゃか・すちゃか・すちゃか・どんどん
まだ、頭の中に叩き込んだ音楽がぐるぐると鳴り響いております。
でも、はちゃめちゃは私の習い性なので、大丈夫。
奉げるものはちゃんと奉げ、受けるものはちゃんと受けました。
自分を奉げ、賛美を奉げ、みことばと姉妹の愛、そして、なによりも神の憐みを、バケツをひっくり返した水のように受けました。
人生って難しい。
でも、真理は、神の心はそれほどでもない。
そう思えます。
アーメン





Tuesday, September 2, 2014

新品の特注のオリジナルの祭壇

朝から晩まで、わさわさと動き回る、気ぜわしい1日でした。
そんな中、朝晩の通勤時間だけが、どんなに急ぎたくても急げない、じっくりとかまえることのできるクール・ダウンの時。
朝書いた『自分の祭壇』について、もう一度真剣に考えてみました。
そして、祈りました。
祈りながら、それが与えられたことを感じました。
それから、ちょっと胸を正して、背中をぴっと伸ばして、その祭壇を通して祈った最初の祈りは教会のある姉妹のことでした。
あなたの聖らかで愛に満ちたやさしいあたたかな光の中で、彼女が健やかでありますように、ってなんの脈略もなく唐突にそう祈りました。
さすが、新品の特注のオリジナルの祭壇ね。
祈りも新品の特注のオリジナルでした。

私の祭壇

さあ、私たちは自分たちのために、祭壇を築こう。
全焼のいけにえのためではなく、
またほかのいけにえのためでもない。
ただ私たちとあなたがたとの間、
また私たちの後の世代との間の証拠とし、
私たちが全焼のいけにえとほかのいけにえと和解のいけにえをささげて、
主の前で、主に奉仕するためである。
ヨシュア22:26,27
週末、かじりつくように読んでいたビル・ウィルソンという伝道者の書いた本の中に、『自分自身の祭壇を築かなければならない』という章がありました。
とても難かしい文章だけど、大切なことが書いている気がして、何度もくり返して読んでみました。
そして、読めば読むほど、今の私にとって何よりも重要な真理が隠されていると思えてきます。
どうか、このことを覚えていてください。
あなたの信仰と信頼は、何よりもまず神に根ざさなければならないということを。
そうすれば、それが他のもろもろとの関係の中にも流れ込んでくるのです。
どのような関係も、あなたと父なる神との関係に取って代わるべきではないのです。
ヨルダン川の東側の部族は、ある重要なことを理解していました。
祭壇は、国家のためでも民のためでもないということです。
国も人も過ぎ去ります。
祭壇は神のためのものです。
ビル・ウィルソン
そんなふうに考えたことがあったでしょうか?
私は、ありません。
彼は、私に、「あなたは自分自身の旅をしなければならず、自分で建てた祭壇で犠牲をささげなければならない。あなたは、誰か他の祭壇で礼拝することはできないのだ。」ときっぱりと自信を持って言います。
そして、私は、それは私にとっていったいどういうことなのだろうと、考えさせられています。


Monday, September 1, 2014

ガラスの亀と夕立のような祈り

わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、
あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちの穴から贖い、
あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。
おはよう。
夕べ、日本旅行を終えたゆりかさんが、おみやげを持って、ふらっと会い来てくれました。
ちっちゃなガラスのお人形コレクション
新入りは右の亀さん

私たちは、お庭でしばらく、おしゃべりをし、そして夏の終わりの夜風が冷たくなってきた頃、ようやく、尽きない話に一旦、ピリオドを打って、お祈りをしました。
長い、長い祈りでした。
3週間ぶり、3週間分のお祈りでした。
私は、祈られることの必要、大切さ、ありがたさ、かけがえのなさを、夕立を受ける渇いた大地のようにただ、されるがままに身をまかせ、そして、最後にやっとの思いでアーメンと言いました。

ずっと友達・2014夏②