Sunday, January 5, 2014

「書きなさい」

あなたがたが互いに愛し合うこと、
これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。
もし世があなたがたを憎むなら、
世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。
ヨハネ15:17,18
素晴らしい今年最初の聖日の朝でした。
それはここ数日の私の悶々とした書くことへの、葛藤、恐れ、トラウマ的傷によりそってくださった人と一緒に聴けたら、どんなに素敵でしょうと思えるメッセージでした。
神さまの私へのメッセージはこうです。
「まず、あなたが、愛しなさい。そうしたうえで、書きなさい。」
理解されるために書くことはやめられないけれど、でも、理解されなくても、批判を受けたとしても、その批判の裏側に、何かしらの書いた意味、意義、痕跡のようなものは残ると信じることにしました。
それは神さまに領域だから、私は、ただそう信じて希望を持って書き通けてゆくだけです。
 
 
 
 
 
 

Saturday, January 4, 2014

姫と私の問題

おはよう。
土曜日です。
一杯眠って体も心もすっきりしていて、なんだかた書きたい気持ちがむくむくもぞももぞ、頭の中で動いています。
昨日から、ずっと考えていること。
どうしたら、やさしい文章、人の心にやさしくふれることのできる文章が書けるようになるのだろう。
どうしたら、まっすぐで正直な文章、誰のことも傷つけることなく、自分の気持ちや考えを言葉に置き換えることができるだろうって。
自分の心の中を、じっと目をこらして見つめます。
私が書こうとしていることの、本当の目的はなんだろう。
神さまはそれを好いてくれるかな。
自分の頭の中で組み立てられてゆく言葉を、じっくりと検討します。
この言葉はどこから生まれて、どこに行こうとしているのだろう。
そこまで考えたところで、気づいたことがひとつ。
危険な文章で読む人の心を汚す可能性について、細心の注意を払うのは、実は自分が傷つきたくないからなのでした。
自分が傷つくことを心配していると、私の文章は、宿題の日記のように、意味はわかるけど意味のないものになります。
それで、夕べ書いた記事を削除しました。
私のお姫さまのことを、昨日、元の担任の先生が、「いろんなことを理解できるようになりましたね」と言いました。
私は、彼女の理解はたぶん最初から年齢相応だったのだと最近思うようになっていたけど、ただ「そうですね」とだけ答えました。
彼女の問題は、果たして彼女がどれほど世界から理解されているかということにあるのだと、私は確信しているのです。
私も同じです。
どれほどのことを見て、聞いて、体験して、どれほどのことが自分の内で起きたとしても、それを書くからには、理解されなければ全く意味がないのです。
 

Friday, January 3, 2014

明日の風

日もどっぷりと暮れた遅い夕方、カー・プールでびゅ~んといっきに家路に着きました。
仕事初めの昨日と今日ははなを連れての出勤でした。
学期中には、あまり関わるのない子どもたちと時間を忘れて思いきり遊び、いろんな発見がありました。
はなはもうすぐ8歳なのに、3歳の子たちと真剣にかるたで遊び、勝ちにこだわっていて、おもしろかったし、新聞紙をちぎって遊ぶだけの『雪遊び』と称するアクティビティで、子どもたち自身が遊びを何重にも展開させていたのもとても意外で大発見だった。
はななんて、家で続きを遊んだほど。
新聞紙をちぎって白いスーパーのプラスティックバッグにいれて、輪ゴムでしばって雪だるまを何個も作り(木曜日)、次の日、小さなお友だちにプレゼントしたほどです。
私のお姫さまは、クラスの誰の名前も決して呼んだことがないのに、「はな~はな~」はなを御所望。
私はチャンス到来とばかりに、はなと共にコミュニケーションの糸口を掴もうと躍起になるけど、はなは全く姫に興味がなく、人生って複雑で難しい。
来週月曜日からいよいよ、新学期がはじまります。
いったい、どんな日々が待っているのだろう。

朝っぱらの葛藤

さあ、主に立ち返ろう。
主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、
私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。
私たちは、知ろう。
主を知ることを切に追い求めよう。
主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、
後の雨のように、地を潤される。
ホセア6:1,3
おはよう。
昨夜も、『悔いて生きよ』の続きを読みながら寝ました。
すごく考えさせられる本です。
ひとりでこっそり読むには、ものすごくもったいなく斬新で衝撃的なのだけど、ここにシェアするには、朝っぱらから重く厳しい題材なので、今朝はやめておきます。
私は、何でも思ったことを洗いざらい好きに書きまくっていると思われていたことを知って、実はすごく苦しんで、そして、だから、いつもすごく考えなから書くようになりました。
これが、よいことなのか、そうでないことなのかわからないけど、でも、今はすごく気をつけています。
この本の作者、ドイツの、たぶんカソリック教徒がこの本を書いて受けた反響はすごかったと思うけど、世間からどんな仕打ちを受けただろうと思うと、その言葉を引用するぐらいで受ける仕打ちなんて『屁だ!』と思いたい私は、生意気でしょうか?
どこにだって、『それは私への個人的メッセージですか』と言ってくる頭のいかれた人はいるけど、そんなの気にしていたら何も書けないと思う、っと思う、私の根性こそが傲慢、というのが実はこの本のテーマで、『それは私への個人的メッセージですね』って思っている頭のいかれた人とは、何を隠そうこの私なのだけどね。(ややこしい文章だ)



Thursday, January 2, 2014

仕事開始!②

久しぶりにお弁当を4個作りました。
お休みにはいると、何もかも、感覚も勘も知り尽くしていたはずの塩梅も鈍って、いきなり元に戻ろうとしても無理が一杯。
ひっちゃかめっちゃかな朝だったけどなんとか、全てを(最小限だけど)済ませて家を出ることができました。
私はやっぱり幼稚園がすき。
こども中心なこの世界がだいすき。
1日を終えて、帰路に着き、今しみじみそう思います。
このことがに好きだけ情熱を傾けられることを、夫と子ども達とそして、何よりも誰よりも、神さまに感謝しなければって思いました まる


仕事開始!

ダニエルよ。行け。
このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。
多くの者は、身を清めて、白くし、こうして練られる。
悪者どもは悪を行い、ひとりも悟る者がいない。
しかし、思慮深い人々は悟る。
ダニエル12:9
昨日、ほとんど1日中読んでいた本のなかに、後半、どっきりする文章があっちこっちにちりばめられていて、私は、ドキドキしながら、宝探しの冒険をしている子どもみたいに夢中になりました。
たくさんあるから、紹介しきれないけど、でも今朝、ふたつだけシェアさせてください。
「単にイエスが誰であるか知っているというだけでは、天の門は開かれません。
絶えず新たに真に罪を嘆き、悔い改めた心をもってイエスの十字架の下に来る者だけに、開かれるのです。」
「悔い改めの一粒の涙が神にとってどれほど価値あるものか。
実にそれは、神にとって百もの『善き行い』よりも価値あるものなのです。」
うれしかったのは、自分を「プロの謝り屋」のようと恥ずかしく思わなくてよいといいうこと。
そして真剣に取り組むべき課題と示されたことはまたしても自分の「傲慢」。

救い主イエスさま、
みことばのお約束のとおり、あなたが私に、
罪を悔いる霊を与えてくださっていること信じます。
あなたこそ罪人の救い主です。
アーメン
今日から仕事です。
今日と明日はウォームアップ、2日で体と頭と心を仕事に戻します。



Wednesday, January 1, 2014

心に賛美・唇に賛美

どんな元旦ですか?
私は、6時までぐ~っすり、眠っていました。
そしてお風呂の熱いお湯につかりながら、ipod で、『キリストの名を着て生きる』というメッセージを聞きました。
それから、一回、気分転換にお庭の草むしりに出た以外は、ずっとお部屋にこもって本を読んですごしました。
ドイツ人が書いた、『悔いて立ち返れ』という本です。
今夜のディナーは、チキンとお餅と貝と野菜のおなべです。
今年は、どんな年になるのだろう。
もういい加減、抱負なんていうのはやめにしました。
絶対に、達成、成就されたためしがないのだもの。
ちなみに昨年の抱負は『英語』、その前も『英語』、毎年『英語』。
でも、ちっとも上達しないし、そもそも上達のための努力っていうか勉強を何もせずに毎年、大晦日。
もう英語はいいや。
今年はそうね、『賛美』。
『心に賛美、唇に賛美』。
どお?
来週、アフター・キンダーの子たちと書初めをするのだけど、私は『賛美』って書こうかな。
これ、ゆっとくけど抱負じゃないからね、夢、そう勝手な夢。