Friday, January 3, 2014

朝っぱらの葛藤

さあ、主に立ち返ろう。
主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、
私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。
私たちは、知ろう。
主を知ることを切に追い求めよう。
主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、
後の雨のように、地を潤される。
ホセア6:1,3
おはよう。
昨夜も、『悔いて生きよ』の続きを読みながら寝ました。
すごく考えさせられる本です。
ひとりでこっそり読むには、ものすごくもったいなく斬新で衝撃的なのだけど、ここにシェアするには、朝っぱらから重く厳しい題材なので、今朝はやめておきます。
私は、何でも思ったことを洗いざらい好きに書きまくっていると思われていたことを知って、実はすごく苦しんで、そして、だから、いつもすごく考えなから書くようになりました。
これが、よいことなのか、そうでないことなのかわからないけど、でも、今はすごく気をつけています。
この本の作者、ドイツの、たぶんカソリック教徒がこの本を書いて受けた反響はすごかったと思うけど、世間からどんな仕打ちを受けただろうと思うと、その言葉を引用するぐらいで受ける仕打ちなんて『屁だ!』と思いたい私は、生意気でしょうか?
どこにだって、『それは私への個人的メッセージですか』と言ってくる頭のいかれた人はいるけど、そんなの気にしていたら何も書けないと思う、っと思う、私の根性こそが傲慢、というのが実はこの本のテーマで、『それは私への個人的メッセージですね』って思っている頭のいかれた人とは、何を隠そうこの私なのだけどね。(ややこしい文章だ)