Saturday, January 25, 2014

ヤコブの餅

宣告。
マラキを通してイスラエルにあった主のことば。
「わたしはあなたがたを愛している。」と主は仰せられる。
マラキ1:1
旧約聖書の最後の書、マラキの1章の1節はこんな言葉ではじりまりました。
そしてその後、主はエサウではなくヤコブを愛したと続きます。
営利的というか商業的というか興行的であったとしても、成功の鍵となるのは、結局は、真心がこめられているかどうかだと思う。
最高のもの、最上のもの、最善のものを追求して、提供したい気持ちは、提供する向こう側に大切なことを据えていなければ、できない、大変な仕事です。
私は、そのことを、今、勤めている幼稚園で学びつつあります。
(ああ、どうしよう、とまらくなっちゃった、この先は6月まで書かないつもりでいたのに・・・)
実は、木曜日の夕方、もち米と赤いボールを幼稚園から持って帰ってきました。
餅つき機にお米をセットする12時間前の9時半ぐらいに、研いで、お水にひたしておきました。
めずらしく夜更かしをしていたはながそれを見て、ベッドで本を読んでいた私に、「あれはなあに?」と聞きにきました。
それで、「幼稚園のもち米よ」と答えると、驚いたことにはなは、いろんなことを思い出して話はじめたのです。
「ちょっと色がちがうんだよね、普通のお米とは。そしてお水につけると大きくなるし。はなも、もう一度たべたいな~、いろんな味があったね。あんこ、黄な粉、醤油。ねえ、ママ、はなにも、もらってきて、お願い。」って。
私は、すごくショックで、ショックのあまり、ただ「そうね、できたらね」とだけ言って、本の続きを読んでいるふりをしました。
でも、金曜日は1日中、忙しさのあまり、はなにお餅をもらうだなんて、すっかり忘れていて、でも帰りにキッチンの前を通りすぎようとして、思い出し、フリーザーにすでに子袋に分けられていたのを、黙ってもらって帰りました。
お札のサイズのジップロックに3個はいったのを、ふたつ。
そして、はなはピアノのレッスンが終わって家に入るやいなや、「お餅もらえた?」と聞きます。
私は、お餅なら、家のキャビネットにも、冷蔵庫にもあるのに、って思いながら、盗品のお餅をマイクロウェーブに入れてお醤油をかけて海苔と一緒にだしてあげました。
はなは、3個ぺろりと食べ、普段お餅を食べない賢人も3個を三くちで食べてしまいました。
今朝、マラキを開いて、あれはヤコブのお餅だったのかもしれないと思いました。
私は、ここ2週間、お餅作りに関わっている先生たちのご苦労を側で見て知っていたので、恐れ多くてそれを、結局口にできませんでした。
でも、どんな味だったのだろうと、今朝、マラキを読んで思います。
明日は、幼稚園のバザーです。
ハタチ基金http://www.hatachikikin.com/への募金のためのバザーです。
ここで、このお餅も商品として売られます。
商業的、興行的、あらゆる意味でのバザーの成功を信じて祈っています。