Wednesday, January 8, 2014

ちゃいたの由来、ヨエルへの夢


地よ。恐れるな。楽しみ喜べ。
主が大いなることをされたからだ。
野の獣たちよ。恐れるな
荒野の牧草はもえ出る。
木はその実を実らせ、
いちじくの木とぶどうの木とは豊かにみのる。
シオンの子らよ。
あなたがたの神、主にあって楽しみ喜べ。
主は、あなたがたを義とするために、
初めの雨を賜り、大雨を降らせ、前のように、
初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。
打ち場は穀物で満ち、
石がめは新しいぶどう酒と油であふれる。
ヨエル書2:21~24
ヨエル書を読み始め、ヨエル書を読み終えました。
だって3章しかないんだもん。
ヨエルって素敵な響き。
今度うちに新しい生き物がきたら、ヨエルって名付けたいな。
緑亀の〝ちゃいた〟はチャイナタウンからきたから〝ちゃいた〟だけど、家族全員、それぞれ別な名前で私のちゃいたを呼んでいます。
『悔いて生きよ』を最初に読んだ時、「イエス・キリストは私の罪に対する盲目でかたくなな心や、独善的に自分をかわいそうに思う心を打ち砕き、自分の罪を悲しむ心を、悪魔から勝ち取り、それを私にくださるためにこられた」という内容に、心のどこかで、「やめてよ~」という気持ちがあったことを、今朝正直に認めます。
この本の内容はどんなに疑り深い気持ちで読んだとしても、正しいと思えてしまうけど、でもそれは、あまりも自虐的、何もそんなことを祈らなくとも・・・ってそう思った。
だから、すごく斬新で衝撃的だけどシェアするのがこわかったのだと思うのです。
そして、友だちが友だちを呼ぶみたいに、こわい気持ちがどんどん大きくなって、過去の悲しかった出来事や、開かないように気をつけていた心の暗闇の部分がじわじわと表面にまで滲み出てきて、それが、私の書く文章の中心となってきました。
10年ぐらい前のような気がするけど、ほんの先週の後半のことです。
それは、壊れたダムをから溢れる大量の水のように、自分でもどうすることもできない、恐ろしい体験でした。
・・・・この2年ほど、「赦します」と宣言しない日はなかった。
私の心の中には、もう自分では処理しきれないほどにわけのわからないイライラがたまっていたのでした。
日々の普通の祈りでは、カバーしきれないほどに、心がその思いで溢れ、もうだめって思った時、天から啓示が降りてきたのです。
問題はそうじゃなかった。
「赦します」ではなく、「赦してください」と祈らなければならなくて、「人」にではなく「神」にそれを求めなければならなかった。
実は、全然、何にもわかっていなかったのです。
日曜日に講壇から牧師に、言われたはっとしました。
世に憎まれてもいいって思った時、全てがガラガラと変りはじめました。
何かが変る、何かが起きた、そんな予感にドキドキしながら、エンジンオイルをドボドボとこぼしつつ、(そんなこと全然気づいていなかったけど)マクドナルドに行って、ゆりかさんと一緒に、小さく、でも心をこめて祈りました。
二人でメッセージを感謝しました。
私と彼女の間に起きた出来事も小さくそこに含まれていたので、私の葛藤を先刻承知の彼女は、私を大いに励ましてくれました。
そして、翌朝、『おはようスポルジョン』を書きながら、『悔いて生きよ』が教える悔い改めを、自分なりに祈った時、奇跡が起きたのです。
結論から言って、自分の罪を悲しむ心とは、ひじょうにいい、すごくいい、最高かもしれない。
最低で最高。
最悪の私が最善な神に近づいた日。
悲しいけど、うれしい。
夫と結婚した時も賢人が生まれた時もはなが生まれた時も、自分の洗礼の日でさえ、こんなにうれしかったことはないぐらいです。
今朝はすごく一杯書いちゃったけど、最後にヨエル書からもうひとつ。
その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
ヨエル2:28
私にも紛れももなく、この霊が注がれていたから、この霊によって滅びの穴から引き上げられることができたのだな~と思います。
もし将来犬を飼うことがあれば、ヨエルと名付けたい。