Monday, January 6, 2014

互いに愛し合うこと 

新しい学期がいよいよ始まりました。
新しい気持ちで、新しい祈りを奉げながら幼稚園に向かいました。
なんだか素晴らしい年になりそうな感謝と期待で胸が一杯になり、涙の一歩手前で祈りを閉じて、CDを聴きました。
でも実は夕べはあまりよく眠れなかったのです。
三度の飯より寝るのが好きな私がです・・・。
礼拝のメッセージのことを考えていました。
タイトルは確か『互いに愛し合う』だったと思います。
礼拝の後、例によってゆりかさんと超スモール・グループのシェアリングをしました。
私たちほど、『互いに愛し合う』を最も難しいレベルから跳んで現実にしたふたりは他にいないでしょう、そう思います。
でも私たちはいつも、話題がそこに及ぶたびに、「これは神さまの奇跡、御業よね。」と言い合います。
お互いから自分を隠し、逃げても逃げても、ふたつの教会とひとつの幼稚園とで会わされた私たち。
誤解が解けた時、失った時間と、相手の傷に対する悲しみにくれました。
そして、その悲しみがようやく癒えた時、今度は代わりに大きな怒りが私を包みました。
でも日曜日の昨日、礼拝の後、マクドナルドで小さな祈りを奉げて、甘すぎる1ドルのアイス・ティーを飲みながら、私たちを引き裂いた、巧妙で偽善に満ちた悪の仕業に対する怒りとがすっと消えたことに気づきました。
跡形もなくすっと。
同時進行で、マクドナルドの駐車場では私のシビックのエンジンオイルがどばどばと漏れ、大変なことが起きていて、夫が電話一本で私から呼ばれ、夫によってAAAの牽引が呼ばれ、、シビック危うしというそのガラスのこちら側で、私たちはしんみりと、心から神さまに感謝したのでした。
どう思いますか?
『互いに愛し合いなさい』は私たちの価値基準や、私たちの経験が教える人の常識ではどうしようもなく難しいことだけど、でも、本当は、天からの贈り物のように与えられ、そんなふうに実現するものだと、私は思うのです。
鍵となったのは、聖霊さま。
開いてくださったのも聖霊さま。
いいえ、ドアそのものだった聖霊さま。
私はそんなふうに思うのです。