愛は寛容であり、愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢にもなりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、
人のした悪を思わず、不正を喜ばず真理を喜びます。
すべてをがまんして、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。
Ⅰコリント13:4~8
それから、夫も賢人もはなも亀のチャイタも犬のじょえるも、みんなこの家の中に安全に守られて眠っていると思うとすごくうれしくなって、もう一度目を閉じて眠りにおちました。
☆コリント人への手紙を読みました。
愛について書かれたここを読むと、全く愛とはほど遠い自分に落ち込みそうになるけど、ここの愛を、神と置き換えて読むなら、とても励まされるから不思議です。
神は私をこらえ、私を信じ、私に期待してくださっている。
神は私をこらえ、私を信じ、私に期待してくださっている。
神は、神の愛は、決して、絶えることがない。
☆なんだか、すっかり普通に幸せな気分で、その気分がずっと続いています。
最初はちょっとなじめなかったけど、今、少し落ち着いてきました。
そして、それがどういうことなのかわかってきた気がします。
私の父は大きな船の船員でした。
エンジンを操る機関部の長で、父は私の自慢でした。(今も自慢です)
夏休みのある日のこと、父が私を船のエンジンルームに連れて行ってくれたことがありました。細い階段を降りて見せてもらった、そのエンジンルームはすごい音でした。
圧倒的なまでの凄まじい音、エンジンの動く音です。
でも、ずっとそこにいて、SF映画のセットのような機械に囲まれた不思議な世界を探検していると、いつしかお互いの声も聞こえないほどの音の中にいることを忘れてしまうのです。
私は忘れてしまっていました。
そして、再び細い階段を上って、デッキに出ると、あまりの静けさにびっくりしたことを私はよく覚えています。
父の仕事用の帽子には耳栓がついていましたが、その頃から彼はすでに難聴でした。
今週の私は、そのデッキに出てきた時の私にとても似ているのです。
☆昨日の雨、はなは生まれてはじめて長靴をはいて、傘をさしてひとりで歩くという経験をしました。
日本で読んでくれている人、「えっ?」って思うでしょ。
でも、クルマ社会、子ども管理社会のここでは、そのチャンスは本当に稀なのです。