Saturday, March 22, 2014

パウロの足跡

神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、
すべての良いわざにあふれる者とするために、
あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
Ⅱコリント9:8
思ったほど、っていうか完全に私の思い込みなんだけど、午後になっても全然気温が上がらず、長袖のシャツを2枚重ね着して靴下を履いたいつもと全く同じ冬の週末の格好で、家の中でちまちま好きなことをしてすごしました。
夫とはなはじょえるを連れておでかけ。
賢人もスケボー抱えてふらっと行ってしまったので、朝の家事を終えた私は、午後の間、ずっとひとりで、背中をまるめて(たぶんね)読んだり調べたり考えたり感じたり祈ったりしてすごしました。
使徒とローマとコリントを行きつ戻りつしながら、地図を広げ・・・。
そして思うのよね。
パウロが見つめるもの、見つめ続けたものって、「サウロ、サウロ」と呼ばれたあの日以来、ずっとずっと同じ。
どんな時も、一貫して、頑固に、一点に集中したパウロ。
それは聖霊の導き、そして天国。
そして、心からごめんね、ありがとう、パウロって思う。
そうまでしてパウロが守りたかったコリントの教会を、今、私も自分の教会のように感じています。
コリントの教会のために書くこと、心を配ること、祈ることは、のちの全てのキリストの教会を守ることにつながっていたとは、当のパウロも知らなかったかもって思う。
教会に対する愛なんて、特別な人、長老さん、役員さんたちにだけ与えられた特別な召しと思っていた。
でも、本当はそうじゃない。
就職や、結婚や、子育てと同じ。
召された限り、誰もに備えられた自然な愛だと思う。
ただ、それは人生と命をかけた、大事業。
結婚や子育てと同じ、人生と命をかけた大事業。