Saturday, July 28, 2018

2列王記 4章

彼女は夫に呼びかけて言った。
「どうぞ、若者のひとりと、雌ろば一頭を
私によこしてください。
私は急いで、神の人のところに行って、
すぐ戻って来ますから。
すると彼は、
「どうして、きょう、あの人のところに行くのか。
新月祭でもなく、安息日でもないのに」
と言ったが、彼女は、
「それでも、かまいません」と答えた。
2列王記 4:22,23
エリシャのとりなしによって与えられたひとりの大切な男の子を急病で亡くした母親のリアクションです。
その子の命の始まりであった、とりなしのエリシャに、まずはなにはともあれ、会って、なんとかしてもらわねばと、とるものもとりあえずな勢いで走ります。
そしてこの行動は正しかった。
33節、「エリシャは中に入り、戸をしめて、ふたりだけになって主に祈った」
34節、「それから寝台の上に上がり、その事の上に身を伏せ、自分の口を子どもの口の上に、自分の目を子どもの目の上に、自分の両手子どもの両手の上に重ねて、子どもの上に身をかがめると、子どものからだが暖かくなってきた。」
うれしかったと思う。
彼女をエリシャの元に走らせたのは希望でした。
その希望はどこから来たかと言うと、奇跡を信じた信仰です。
そしてその信仰はどこから来たかと言えば、その子がエリシャのとりなしによって神に与えられた子という確信があったからなのでした。
私にも確信があります。
私たちの子どもたちも、神にあたえられた神の子です。