Monday, December 5, 2016

大人のさんまの食べ方と漫画の見方

★夕べ、晩ごはんのさんまを食べてて、なんだか食べにくいな~と感じました。
なんだろう、この違和感。
再臨ちかし?などと落ち着かない理由を考えていたけど、わからず、何気なく、メガネをかけて気づいた。
お魚がよく見えていなかったのです。
ついに、ここまで進んだか・・・。
★最近、台所仕事のお供に、はなからipad 借りて、短いビデオを見るのがちょっとしたお楽しみ。
(ちなみに掃除や洗濯、庭仕事をする時は、ポケットにiphone を入れて、イヤフォンでよその教会のメッセージを聞いたり、音楽を聴きます。
注:庭仕事の時に、イヤフォンを大きな枝きりハサミでちょん切ったことがあるので、シャツの首から出すことにしています)
少し前まで、映画を観ていたけど、最近はもっぱら Peanuts、Charlie Brownと仲間たちに夢中です。
人生の矛盾や不公平をおもしろおかしく描いているけど、でも、どこかに天国を感じずにはいられない。
そんなクリスチャン的楽観主義なスヌーピーが大すき。
そして、音楽が最高。
状況にぴったりのピアノはピアノのための漫画のようでさえあります。

詩篇 33扁 ②

主は天から目を注ぎ、
人の子らを残らずご覧になる。
御住まいの所から
地に住むすべての者に目を注がれる。
主は、彼らの心をそれぞれみな造り、
彼らのわざのすべてを読み取る方。
王は軍勢の多いことによっては救われない。
勇者は力の強いことによっては救われない。
軍馬も勝利の頼みにはならない。
詩篇33;13~17
「主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。」
残らず。
これがうれしいと思う時は、主の前に自信をもって正しい心でいる時。
恐いと思う時は、なにかから逃げようとしていたり、ごまかそうとしていたり、適当にすませようとしている時。
いつも、神さまが見つめていてくださることを喜んでいたいな。
それで、今、書くのをやめて、心に平安がなく、でもなんとなく引き受けてしまった仕事をひとつ、祈ってキャンセルしました。
主の前に責任を全うできることはそれほどたくさんではありません。
私の場合は特にそう。
「主は、彼らの心をそれぞれみな造り、彼らのわざのすべてを読み取る方。」
読まれる前に、相談をすべきでした。

Sunday, December 4, 2016

私の待降節~その②

★どこに行ってもクリスマスを待ち望み、祝える環境に帰ってきました。
家庭や教会はもちろん、職場でも。
それは、本当にうれしいことです。
真っ直ぐに、純粋に、クリスマスを待ち望み、祝えることの喜びを知った、それだけをとってみても、一般の幼稚園で働いた意義は大いにあります。
幼稚園で主にもらったたくさんの恵み、これからの人生をかけて、その恵みのひとつひとつを見つけ味わい続けてゆくのかもしれないなって、今日ふっと思いました。
時々、幻だったような気がしていたのよね。
あの日々が。
★クリスマス・カードを書くとか小さな贈物を選ぶということに、全くプレッシャーを感じないのが不思議です。
楽しい、うれしい、何を書こう、何を贈ろう。
いつもは言えないこと、書けないことを書くチャンス、気もちを贈るチャンス、そう思えるのがとても新鮮。
さっそく今日、一枚のクリスマス・カードを受け取ったので、私も彼女にメッセージを書こうと思います。
★はなも、担任の先生やいつも映画を観に連れて行ってくれる大人のお友だちや、バレエの先生にコツコツとメッセージを書き始めました。
はなってこういうところが、とってもアメリカ人で、サンキュー・カードやお誕生日カード、カードを作って書くのを決して面倒に思わない。
しかもかなりの凝り性。
それで、私たちは、静かにバッハの音楽を流したダイニング・エリアで、こつこつとそれぞれの愛する人たちにメッセージをしたためるのであります。

安息日・いのちの泉に伏して

わたしが与える水を飲む者はだれでも、
決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、
その人のうちで泉となり、
永遠のいのちへの水がわき出ます。
ヨハネ4:14
教会から戻ってきて、2時間ほど爆睡してしまいました。
しかも、何を思ったかはなのベッドで。
起きたら、軽い記憶喪失状態で、実家のベッドに10歳の女の子になって、寝ていた気分でした。
とても良い礼拝だった。
賛美も。
アンサンブルの楽しさはその難しさにあり。
でも、それをがんばることが賛美の喜びでもあるのだなっと思いました。
たとえ、音楽的にバラバラであったとしても、主にあってひとつ。
主の御名に免じていただいてひとつとならせてもらうという意味でね。
そして聖餐式。
普段、一緒に奉仕することのないもう一人のピアニストと一緒に、ひとつの曲を演奏し、ひとつのパンを裂いて、聖餐にあずかりました。
聖餐だけで、生きていけそうなほど、胸が一杯になっちゃった(というのはうそで帰ってから、とりあえず、オムライスをがががと作ってがががと食べたけど)。
でも、胸が一杯は本当。
とても幸せで、喜びに満ちた礼拝でした。
ハレルヤ


詩篇 33編

正しい者たち。
主にあって、喜び歌え。
賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。
立琴をもって、ほめ歌を歌え。
新しい歌を主に向かって歌え。
喜びの叫びとともに、巧みに弦をかき鳴らせ。
詩篇 33:1~3
姉妹に、よく「賛美の中に住まう主よ、」と神さまを呼ぶ人がいます。
だとしたら、賛美をせずにいることの方が難しいということになります。
病の中にあって、その唇にいつも主への賛美の絶えない姉妹がいます。
彼女が全く病気のように見えないのは、賛美の中に住まう主がいつも彼女と共にいるからなのでしょう。
全ての音楽の最終目的は賛美だと思う。
さて、今朝はこれからリハーサルです。
人と人とがそれぞれの音を重ねる会です。
それが主のハーモーニーとされるかは、この賛美のスピリットにかかっているということかもしれません。

Saturday, December 3, 2016

みんなで賛美しよう

★ばっちりお買い物を済ませて帰ってきました。
小さな贈りものだけど、良いものを良い値段で買うことができたと思います。
人ごみや行列は苦手だけど、でも、感動的なまでに、「どうぞ」とか「ごめんなさい」とか「ありがとう」が聞こえてきて気もちよくお買い物ができました。
どこにいても、何をしていても、主の守りが、私とはなを包んでくれていました。
★賢人も、良い日をすごしたようです。
だんだん、少しづつ、キャビンリーダーの顔になってきています。
キャンパー以上に恵まれるのは申し訳ないけど、そうなる気がしてなりません。
あの子を導く兄弟は、キャビンリーダーのリーダーの役割を担っているそうなので、これ以上心強いことはありません。
がんばれ、賢人。
★クリスマスを楽しみに待つこの季節は大すきだけど、実はクリスマス・キャロルにはあまり馴染みがなく、演奏するのもちょっと苦手。
でも待降節に入っているので、明日はいくつかのクリスマスの賛美を選んでみました。
アドベントには毎回とても興味深い意味、意義が謳われています。
聖書からそれを読み取ることはとても難しく、だから私には、聴くのは大好きだけど、選んで歌うにはとても難しい教義となっています。
許されることなら、もっと素朴に、というか単純に、自由にこの日を喜びたい。
そんな気もちが選曲に滲んでしまっているかもしれません。
でも、祈って、選んだから。
明日の礼拝賛美も祝福されることを信じています。



パジャマで賛美

★午前中は、ずっとピアノを弾いてすごしました。
カーテンを閉め切ったままのお部屋で、ずるずるのパジャマ姿で。
昔、高い(そう感じた)受講料を払って、無理矢理聞かされたワーシップ・セミナーで習ったこと。
Question:どのくらい練習すればよいか?
Answer:平安が得られるまで
それが唯一のそのセミナーで聞いたことで記憶してることだけど、今では、その教えを感謝しています。
平安が得られるまで弾いて終り。
これ以上わかりやすい、自分との約束はありません。
★賢人は早朝から起きて、ウィンター・ビジョン、冬のバイブル・キャンプのワーカーのミーティングに行きました。
小さな頃からよく面倒をみてくれている教会の兄弟が迎えに来てくれて。
彼と大人同士として、一緒に仕事をすると思うとなんだか、ちょと不思議です。
まだまだ幼さの残る小さなキリスト者だけど、どうぞよろしくお願いしますと、いつもキャンプと2人の友情のために祈っています。
★さて午後はお買いもの。
どこに行ってもこれからは人が一杯で、さらに増え続けるはずなので、この辺でがんばって済ませておこうと思って。
はながいてはできない秘密のお買い物だけを残して。
それは来週にひとりでこっそりね。
でも、もう決めてあるの。
そしてそこには人があまりいないんだ。
うしし。