Tuesday, March 23, 2021

ベストショット、はなとの会話、そして今日の体重

毎日、同じ写真に見えるかもしれないけれど、違うのです。
今日のが、これまでのベストだと思う。
右の桜も左の菜の花も手前のチューリップも、それぞれに、よく咲いているのもさることながら、今朝の空の色は、今までここで撮った中で最高でした。

今日は、はなと電話でたっぷりおしゃべりし、元気をいっぱいチャージした。
昨日も電話があったのだけど、出られなくて、おまけに変なテキストバックをしてしまい、あきれて寝てしまったと言っていた。
「5ヶ月以内にかけなおすね」だって。
メガネをかけずに、勘で書いているとこういうエラーが起きてしまいます。
気をつけよう・・・。

学校が終わったら、来てくれると言うので、何気なく、去年の幼稚園の卒園式で着たお洋服を持って来てって言ったら、目にいっぱいの涙を浮かべて、「なんのために」って言われた。
ドラマチックが大きらいなあの子が泣くのは私も耐えられないので、すぐに話題を変えたけど、すぐに、「はなも必要?」と聞いてくれた。
15歳の女の子って本当に頼りになります。

さて、問題の体重。
やっと書きたい気もちになりました。
43キロです。
LAを発つ時は100パウンド、約45キロだったので2キロの減少です。
これを多いと見るか、少ないと見るかは、普通だとするそれぞれの自分の体重によると思うけど、私には未知の少なさでした。
通りで、疲れやすいんだ。
通りで、スタミナがもたないんだ。
通りで、あと一歩、というところで、あきらめたくなってしまっていたんだ。
通りで、忍耐のリミットが低いんだ。
通りで、やさしさのキャパシティが狭いんだ。
実は、あまり、良いコンディションではないのです。

Monday, March 22, 2021

「修道院の食卓」からの学び 2


イエスは言われた。
「わたしは、苦しみを受ける前に、
あなたがたといっしょに、
この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことことか。
ルカ 22:15

「食べ物は恵みとして讃えられ、敬意と感謝をもって食せられるべきである。
食べ過ぎは体だけではなく、霊や魂も不健全な悪い状況に陥らせ、ついには身体と魂をともに損ねる病気に導く。
食べ過ぎほどキリスト教に反するものはない。
神の創造には、もともとひとつの方向に行くとまた元に戻ろうとする振り子のような性質があり、それが調和を作り出している。
食事と断食のくり返しによってのみ、人間の生活にも同様のリズムが生じ、心と体の調和が保たれる。
神と神が造られた世界に対し、畏敬の念をいだきつつ対話する文化は、生産者の必要性と経済効率、そして生産物とそれを生みだす環境のどれも傷つけることはない。」

みことばは、自分で選びました。
今朝、スポルジョンに導かれて、開いたルカの22章からです。
そして、思いました。
いつも、最後の晩餐だと思おう。
どの食事も。
神さまと、神さまがお造りになられたこの地の産物に感謝しよう。
それは、決して、神の愛なくして、育たないのだから。
神の愛を感謝して食べよう。

昨日の夜に書いた記事への神さまのお返事が、このみことばであったとはっきりと思う。
シランティロと紫のキャベツを買ってきてサラダを作ろう。
セロリを買ってきて、野菜スープを作ろう。
食べたいと身体が願うものを作って食べよう。
フリーザーにたまってゆく冷凍ご飯の山にため息をつくのをやめて、母が炊いてくれる炊き立てごはんで、大すきなたまごかけごはんを食べよう。
冷蔵庫にたまってゆくおかずのストックのおいしい食べ方に胸を痛めるのをやめて、すっと生卵をひとつ取り出して、ごはんにぽとんと落として、お醤油をつけた海苔でまいて食べよう。
残された問題については、その後、ゆっくり考えよう。

天使の励ましと悲しみに果てに眠る我が子の間のイエスさま


イエスは苦しみもだえて、
いよいよ切に祈られた。
汗が血のしずくのように地に落ちた。
ルカ 22:44

「これは罪の重荷が、いかに恐ろしいものであったかを証明したものであり、これがために救主は血の大汗をしぼり出されたのであった。
人が大きな苦痛に会う時、血は明らかに心臓に向かって集まる。
しかし苦痛の中にある私たちの救主を見よ。
血は彼自身を助けるために心臓に集中する代りに外へと流れ出て地をうるおすのであった。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
ルカの22章をじっくりと読みました。
43節と45節、そう今日の箇所のちょうど前と後ろが大好きでした。
43節、すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。
イエスさまはひとりぼっちではなかった・・・。
45節、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。
弟子たちは呑気に寝ていたわけではなかった・・・。
どちらも、イエスさまが流された血の汗のしずくの1滴にもおよばないなぐさめかもしれないけれど、でも、きっとイエスさまはその両方を受け取られて、十字架に向かってくださったと信じたいです。

負け戦ダイエット


先々週の土曜日に、街のデパートで買ったおつまみのチーズ、少しづつ少しづつ小さく切って食べていたけど、ついに終わりに近づいてきました。
日本に帰ってきて以来、食べたいもの、好きなものがあまり食べられず、実は、体重ががたっと落ちました。(はなに送る荷物の容量を測るためにグラム単位で測れる体重計を買ったのです)
この家に帰ってきてからは一度も外食をしたことがありません。
父と母に合わせた薄味で柔らかな菜食生活で、ちょっと、いえかなりストレス溜まっています。
今、一番食べたいのは、シランティロと紫キャベツを盛大に使った自作のサラダ、ドレッシングもTJのガーリックオイルで自作したい。
2番はロミータのえぼしのちゃんぽん。
3番は夫作の辛くて熱いすん豆腐。
4番はサンペドロのぽき。
5番ははなのうゎかもりとトルティーヤチップス
書いてるだけで、胃袋がわくわくしてしまいます。
母は、機械的なご飯作りがどうしても止めることができず、結局お弁当もやめてしまいました。
毎日、ものすごい量のおかずとご飯がテーブルに並ぶけれど、父はもちろん、作った本人も食べられません。
そして、それらは毎日、私によってタッパーに集められ、でも翌日にはまた新たにどど〜ん並び、の繰り返しです。 
決して、追いつくことのできない追いかけっこ。
絶対勝てない戦いです。

春じたく


今日は、洗ってアイロンをかけたタートルネックのセーター5枚と木綿のオーバー2着を、ベッドの下の箱にしまう作業を終えました。
明日は厚手ニットのカーディガン3つを洗いたいところだけど、今日は真冬に逆戻りみたいな寒さ、これでオーバーもカーディガンもないのはちょっと無理かもと考え中です。
マフラーやニットの帽子や手袋も、実はまだ、朝のゴミ出しに使っています。
暖かい日、寒い日、かわりばんこにやってきながら、一雨ごとに、いつの間にか、毎日、暖かくなるのでしょう。
なんせ、27年ぶりなもんで、なにかにつけ要領が悪い私。
父と母は、日本の春の風物詩のごとくな高校野球とお相撲に夢中です。
楽しみがあるのは、とても良いこと。
高校球児さんとお相撲さんに感謝です。
私は、どちらにも大した興味が持てないけれど、非建設的で八百長プロレスみたいな国会中継やら、大人の公開イジメみたいなニュース番組なんかよりはよっぽど健康的なので、大きなテレビの音にもなんとか耐え忍んでおります・・・。

Sunday, March 21, 2021

「修道院の食卓」の学び 1


外側から人にはいって、
人を汚すことのできる物は何もありません。
人から出てくるものが、人を汚すものなのです。
マタイ 7:15

「膨大な知識を蓄積し、ヨーロッパ文明の向上に大きく貢献した修道士たちは、いつも全体的に思考していた。
なにごとも、つねに全体から見て個々の要素を判断する。
正しい食生活のなかには、一定の断食状態が組みこまれていることも、同じく聖書から読みとることができる。
人間が神の手になる自然の法則を尊び、その法則に合わせて生きるときに、救いが可能になる。」
カリフォルニアのあちこちに点在する都市の発祥の地、いわゆるミッションを訪れると、そこからワインがはじまっているのは、それが、ぶどうの産地だったから、いわゆる資金集めのためだと思っていたけど、どうやらそうではないらしい。
彼らが、本気で真剣においしいワイン作りを追求していたことがこの本を通して良く見えてきました。
だとしたら、チーズやチョコレート、ハーブ、シャンパンにウィスキー、いわゆる嗜好品と呼ばれるものが、ミッションで生まれたのは想像に難くありまません。
何でも食べていいのです。
ここから学ぶべきことは、食べる時の気もちなのでした。
断食もそうです。
私が、病気の人や、食べたがらない子どもに無理に食べさせる必要がないと考えるのも、実は、そういうことなのです。
食べる時の気もちが、健康にも信仰にもとても大切だと思う。
英語のクラスの中で、健康というテーマが続いた時、健康のために何をしているかという質問に、朝食を抜く、1日2リットル以上の水を飲むと答えると、水はともかく、朝食抜きに関しては、「それは、健康的とは言えないな〜」と良く言われました。
でも、おなかが満足すると天国のことなんてどうでもよくなるのが、私という堕落の人、だとしたら、せめて、1日に一度ぐらいまともに祈るために、朝の一食を抜くことは、「私の健康」には良いことなのよね・・・。 

ゲツセマネが遠くに見えた日


それから、イエスは少し進んで行って、
ひれ伏して祈って言われた。
「わが父よ、できますならば、
この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」
しかし、わたしの願うようにではなく、
あなたのみこころのように、なさってください。
マタイ 26:39

「それは孤独な祈りであった。
主は愛する弟子たちからさえ離れられた。
主にある友よ、しばしば単独の祈りをせよ。
試練の時こそ特にそうすべきである。
最上の香料はあなたの個人的な礼拝の香炉の中〜神のほか聞く者のない場所で香るものである。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
私も、神さまとの真実な交わりは、密室の祈り以外にないと思う。
人は、やっぱり、人を気にする。
だから、人は、人なわけだから。
良いとか悪いとかではなく、超社会的な被造物という意味で。
そのように造られていると思う。
アメリカで必死に仕事をしている最中に、お兄ちゃんが亡くなった。
たくさんの人がなぐさめの言葉と一緒に私に帰ることを勧めてくれた。
帰れるように祈る言ってくれた。
周囲の期待とは5ヶ月のギャップの後、主の時に日本に送られてきました。
そうすると、今度は、私に日本に帰るようにと勧めてくれたその同じ人たちが、今度は、少しアメリカに帰って来た方がいいと勧めてくれます。
夫やはなの気もちを代弁してくれた人もいました。
孤独な祈りで得る確信は、杯を飲み干すことだったから、それを聞くのはとてもつらいことだけど、でも、それも、愛だと、今は思える。
私、日本に来て、イエスさまに少しだけ、近づけた。
ゲツセマネのイエスさまに、少しだけ、遠く遠くに見える小さな影のようかもしれないけれど、でも、確かに前よりも、近づけたと思う。