Sunday, March 21, 2021

ゲツセマネが遠くに見えた日


それから、イエスは少し進んで行って、
ひれ伏して祈って言われた。
「わが父よ、できますならば、
この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」
しかし、わたしの願うようにではなく、
あなたのみこころのように、なさってください。
マタイ 26:39

「それは孤独な祈りであった。
主は愛する弟子たちからさえ離れられた。
主にある友よ、しばしば単独の祈りをせよ。
試練の時こそ特にそうすべきである。
最上の香料はあなたの個人的な礼拝の香炉の中〜神のほか聞く者のない場所で香るものである。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
私も、神さまとの真実な交わりは、密室の祈り以外にないと思う。
人は、やっぱり、人を気にする。
だから、人は、人なわけだから。
良いとか悪いとかではなく、超社会的な被造物という意味で。
そのように造られていると思う。
アメリカで必死に仕事をしている最中に、お兄ちゃんが亡くなった。
たくさんの人がなぐさめの言葉と一緒に私に帰ることを勧めてくれた。
帰れるように祈る言ってくれた。
周囲の期待とは5ヶ月のギャップの後、主の時に日本に送られてきました。
そうすると、今度は、私に日本に帰るようにと勧めてくれたその同じ人たちが、今度は、少しアメリカに帰って来た方がいいと勧めてくれます。
夫やはなの気もちを代弁してくれた人もいました。
孤独な祈りで得る確信は、杯を飲み干すことだったから、それを聞くのはとてもつらいことだけど、でも、それも、愛だと、今は思える。
私、日本に来て、イエスさまに少しだけ、近づけた。
ゲツセマネのイエスさまに、少しだけ、遠く遠くに見える小さな影のようかもしれないけれど、でも、確かに前よりも、近づけたと思う。

 

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