Wednesday, March 10, 2021

無力です でも、高潔に生きたい


罪は、
この良いもので私に死をもたらすことによって
罪として明らかにされ
戒めによって
極度に罪深いものとなりました。
ローマ 7:13

「罪を軽く考えてはならぬ。
若い信者には聖いおくびょうさがあり、神のみこころをいためまいとする敬虔な恐れがある。
しかし、ああそれからすぐにこれらの信仰の芽は世の暴風に吹き飛ばされてしまう。
私たちは罪を弁解する。
罪に衣を着せてそれを覆う。
また罪を美しい名で呼ぶ。
主にある友よ。
罪を軽視しないように注意せよ。
罪は毒薬である。
罪は贖い主に茨の冠をかぶせ、主の心臓を刺し通したではないか。
罪は主を苦しめ、悲しませたではないか。
すべての罪を、救い主を十字架につけたものと思え。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
清々しく心に響き、そして心、正される彼のことばに、ぶれそうになる生き方が矯正される思いです。
罪に関しては、人のことはどうでもよい、自分にフォーカスしたいです。
周囲の人たちの善意や支えや愛や忍耐、その他もろもろの私が作ってきたわけではない、日本の常識や隣人愛や保険や福祉などによって生かされている私は、ただただ、自分の中にある罪を見つけたい。
主に光をあててもらいたい。
そして、告白したい。
昨日の、病院での経験は、私が、日本に帰って来て以来、毎日のように感じることの集大成のようでした。
日本人はどうやって、このようなサービスの心を育んでこれたのだろう。
最後に、「車よせに、車を持ってくるから、ここで待っていてね。」と車椅子に座る父の膝に、携帯電話やその他の貴重品の入ったカバンを置いて、駐車場から戻ってきて、受付周辺に立っていた人に、「車椅子を車までお借りしてもいいですか。お返しにきますから。」と言うと、はいはいと言って、車椅子を押して、車まで行ってくれて、父を車にのせてくれました。
「いいですね〜、娘さんがそばにいてくれて」とあちこちで言われるフレーズに思わずびしっと言った。
「そんなことないんです。あっちこっちで本当にご親切にしていただいて、助けていていただいて、本当に私は何もわからなかったのです。」
変な文章でした。書いてみると。
でも、その人は、にっこり笑ってくれた。
どんな罪もおかすまい。
私にこんなにまで良くしてくださる主に恥ずかしい思いを決してさせまい。
アーメン

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