Wednesday, March 3, 2021

私も弱さを誇ります

しかし、主は、
「わたしの恵みはあなたに十分である、
というのは、わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」
と言われてのです。
ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、
むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
2コリント 12:9

「海のまん中に灯台があるとしよう。
静かな夜ならば、果たして灯台の建築が強固であるかどうか知ることはできない。
嵐がたけり狂った後、はじめて灯台がそれに耐え得たかどうか知る。
聖霊の働きも同様である。
もし、怒涛の中に取り囲まれていなかったら、私たちは聖霊の働きが真実であることを知り得ないだろう。
神の傑作となる人は、困難の中にも惑わず、毅然として立つ人である。
もしあなたの道が険しければ、あなたが全能の神の恵みを更に表し得ることを信じ、それを喜べ。
今日まであなたにとって十分であった神は、最後まで信頼すべき方である。」
今朝のスポルジョンのメッセージを読みながら、思わぬ、いえ、今まで思うことができなかった恵みに気づきました。
私は、自分の働きには到底見合わない大きな経済的報いを、父と母から受けています。
ここでの私の暮らしは、全て、父の経済の守りの中にあります。
食費やその他の経費として、父は私にまとまったお金を託してくれました。
そのお金で、好きなコーヒーやビールを買い、車にガソリンを入れて、ドライブがてら山にお水を汲みに行ったり、図書館に行ったりしています。
あたたかいお部屋で、インターネットを使って、家族とおしゃべりをしたり、手紙を書いたり、音楽を聴いたり、調べ物をしたり。
そして、私という大きなくいっぷちがなくなったせいか、LAでの家族の経済生活もなんの心配もなく流れています。
唯一私がやっているあちらの家事がバンクアカウントとクレジットカードの管理なので、知っているのです。
クレジットカードは毎朝0バランスを保ち、そして、銀行からは日々、大体、決まった支払いが淡々と落とされ、入ってくるものもあまりないけれど、でも、不思議といつも同じようなバランス・・・。
全てサポートされ、私が立っていられない理由など、本当にどこにもないのでした。

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