Wednesday, March 24, 2021

傲慢の芽の草むしり

イエスは彼に、
「ユダ。口づけで、人の子を裏切ろうとするのか。」
と言われた。
ルカ 22:48

「私は主イエスの名によって洗礼を受けている。
私は目に見える主の教会の会員である。
私は聖餐に列する。
これらはすべて、私のくちびるをもってする接吻である。
これらに私は誠実であろうか。
もしそうでなかったならば、私はいやしい裏切り者である。
主よ、私を誠実、かつ真実な者となしたまえ。
すべての偽りの道から守りたまえ。
イエスよ、私はしばしばあなたを悲しませた。
しかし私の願望は死に至るまでもあなたに忠実であることです。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
実はこの文章は、彼のメッセージの後半の一部で、前半は、「この世の口づけに警戒せよ」というものだった。
でも、それは、今の私には、全然ぴんとこなかったので、私自身の内のユダを認めることにしました。
そうすると、これ、また、なんとも悲しいことに、やっぱりしっくりくるのです。
昨日、ここに来てくれた、ケアマネージャーの優希さんも、地域の福祉ケアをサービスする業者の栗木さんも、例え、それがお仕事とはいえ、本当にきめの細かい配慮や気遣い、思いやりに、頭も心も下がる思いでした。
せめて、この方々の前にだけでも、恥ずかしくないキリスト者でありたいと思いました。
「働かざる者、食うべからず」ということばがあります。
もちろん聖書のことばではありません。(聖書は、働きよりも信仰に重きを置いてくれます)
でも、今の私は、この状況を、例えば、「仕事」ととらえて見た時に、せめて、食べさせてもらっている分はつべこべ言わず、余計な質問も挟まず、何も考えず、真剣にやろうよ、それで、それ以上のことを、「愛」と言おうよ、と自分に言わなくてはいけない気がしたのです。
☆ビッグフットの足跡のようだけど、何かの農機具の跡でした

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