Tuesday, March 30, 2021

今後の活動について


しかし、彼は私たちのそむきの罪のために刺し通され、
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
彼への打ち傷によって、私たちはいやされた。
イザヤ 53:5

「主にある友よ、イエスがあなたの前に苦悶という愛の鏡を立てられる時、あなたは涙なしにイエスを直視することができるだろうか。
純潔な百合よりも美しい主が、御自身の鮮血のためにばらよりも紅くなられたのである。
一室に閉じこもり泣いていたい。
朝に、主の血潮流された御姿が心に深く銘記されるように祈り、夕べには主との交わりのために帰って来たって、私たちの罪が主を苦しめまつったことを思って嘆きたい。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。

夕べ、父の着替えを手伝っている時に、父が、もっと、明晰に考えて話ができる時に、きちんといろんなことを伝えておけばよかった、今となっては、それがもうできない、というようなことを、一言一言、息継ぎをしながら言うので、「だいじょうぶ、だいたい、わかってるから」と言いました。
本当はなんの話か、よくわかりませんでした。
「聞きたい、聞きたい、少しづつ、話して」と言えば良かったです。
父は、父が自分で感じているほどには混乱してはおらず、実は、いつもかなり明晰なのです。
だから、これからは、父が話をしたくなった時に、ふっと、横を見た時に、私がいられれば良いなと思いました。
私の、こちらでの生活が全て、主によって整えられたということは、次のステップは、そういう時間を大切にするということなのかもしれません。

朝のお散歩と簡単な家事と簡単な食事づくり、二、三日に一度のお買い物、気晴らしの英語のお勉強、2週間おきの図書館と、1週間に一度の山へのお水汲み、たまの懐かしい場所へのドライブ。
そんな中に、静かに、父のかたわらに座って、ぼんやりとすごす時間があっても良いな、と思いました。
いえ、きっとそれこそが、これからの私がするべきメインの活動なのでしょう。 

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