Monday, March 4, 2024

生き続ける勇気というプレゼント

主に贖われた者たちは帰って来る。
彼らは喜び歌いながらシオンに入り、
その頭にはとこしえの喜びをいただく
楽しみがついて来、
悲しみと嘆きは逃げ去る。
イザヤ 51:11

今朝の通読の箇所です。
プランナーに書き取り、「楽しみがついて来、悲しみと嘆きは逃げ去る。」の部分にアンダーラインを引きました。
ああ、本当にそうだなと思ったから。
昨日のメッセージの中でも主に語られたけれど、解放というのは、ひとつひとつ差し出すたびに与えられる、主の介入なしには起こりえない、素晴らしい御業のゆえの自由です。
ヒトには、(少なくとも私には)どうすることもできません。
でも、ひとつ、またひとつと示され、ゆっくりと明け渡すことは、そんなに悪くないと思う。
時間のかかる「満たし」によって得る喜びは、一瞬で起きた「救い」と同じぐらい素晴らしいもの、それが生き続ける勇気となっているのかもしれないな、っと今朝、ふっと思いました。

 

Sunday, March 3, 2024

神のわざが現れるために・・・


イエスは答えられた。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。
神のわざがこの人に現れるためです。」
ヨハネ 9:3

今朝、取り継がれたみことばです。
大すきなヨハネの9章3節でした。
安全地帯から偉そうに問題を分析的にとらえ、原因を追求し、関係者をつきとめて、そこに責任を負わせる人と、そんなこと、全く気にせず、ただただ、問題解決に向かって動く人がいるとするなら、私は、いつも後者でいたいと思います。
こんな罪人の頭、悪魔の忘れ物のような、愛せない、汚れた心と、ちっぽけな信仰な私が言うのもなんなんだけど、そこにだけは、大きなこだわりがある。
良い人には憧れないけど、問題を解決する人には、絶大な憧れがある。
聖なる人のきよらかできれいなビフォー・アフターの証にはぜんっぜん興味ないけど、罪人が大きな問題を突破して善人を助けた話、超・すき。
私がイエスさまについて行きたい理由は、そこだから。
イエスさまは、それで十分と言ってくれるかな。
愛せなくても、心汚れていても、信仰ちっぽけでも、それで十分と言ってくれるかな。
過去でも未来でもなく、永遠という時の中に唯一影響できる現在という時間の中で、目の前にある問題に取り組みたい。
その結果として、それが神のみわざであると、誰かが気づいてくれたなら、それこそが御霊の実なんじゃないかな。



 

我が家の方針の拡張作戦


わたしは、あなたの神、主である。
わたしは、あなたに益になることを教え、
あなたの歩むべき道にあなたを導く。
あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、
あなたのしあわせは川のように、
あなたの正義は海の波のようになるであろうに。
イザヤ 48:17,18

聖なる安息の日曜日の朝です。
昨夜、教会への愛について考えながら眠ったら、5時すぎに目がぱちっと覚めてしまい、本当はもう少し眠る予定でいたのだけれど、ぱっと考え、ばさっと起きて、ちらし寿司を作りました。
今日は3月3日。
そう、西海岸では今日がお雛祭りです。
行事食だけは、きちんと作って、子どもたちの胃袋に我が家のトラディションとして覚えさせる方針(?)は賢人が生まれからずっと続いています。
材料はいつだって多めにあるので、今朝はおもいきった量を作ってみました。
大きい方は教会へ持って行く、リフレッシュメント、小さい方が家族用。
夫も賢人も、それほどちらし寿司が好きではないので、このぐらいでちょうど良いと思いました。
そして、思ったの。
行事が来るたびに、このようにふたつの大皿に作ってみようって。
思うは易し、されど行うは難し、でも人の行動とは思うことから始まります。
だから、まず、第一歩を踏み出し、こうし、公に書いてみました。

Saturday, March 2, 2024

愚かで情けない私のチャレンジ


ようやく、仕事の1週間が今日終わりました。
いつも思うけど、長いです・・・。
そして、明日の日曜日もほとんど「出勤気分」、エンドレスなスパイラルの中を普通に生きています。
でも、日曜日はお弁当がいらないので、そこのところは何も考えずに眠ることができるので気楽です。
とはいえ、リフレッシュメントの準備をしてくれている人もいるし、私も時々それをうっかりいただいてしまうので大きな声で「気楽」とも言えないけど。
準備してくれる人の労に感謝せずして、うかつに気軽に食べてはいけないなっと思います。
今週、ここの部分への奉仕の招きのEメールが配られたばかりなので、なおさら、そう思うのです。

家族のためにはがんばれるのに、教会のためにがんばられない愚かな私。
幼稚園の仕事のためならどんな無理でもできるのに、教会のこととなるほんの微熱で大騒ぎする情けない私。
教会を愛するって、どうゆう感じなのだろう。
まずは、そのあたり(リフレッシュメント)から愛を実行すれば良いのだろうね・・・。
ただ十戒にあるからと、がんばって礼拝してきた私に、はたしてそんなことできるのかな。
罪人の頭、悪魔の忘れ物のような私に・・・

師からの手紙 ・ひとまず最終回

その後、私の奉仕への「彼の壮大なビジョン」に関する、いくつかのメールが届きました。
けれども、私は、幼稚園での仕事や母のことを含めた家庭生活の三角形をいつも自分の好きな形保ちたくて、のらのらとした煮え切れない態度でおりました。
その頃、受けたのがこのお手紙で、これ以降は、奉仕に関するメールは届かなくなりました。
でも私は、これらのメールをくり返し、くり返し読んでいます。
時に聖書を開きながら、時に隙間時間に。
こうしてまとめてタイトルをつけておくことで、それは私にとって大切な小さな本となりました。



主の平和、
聖霊の働きの一番大事なポイントは、救いの証印です。つまり、救いを為す、確証することです。(エフェソ1:13この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。14 聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。)
そして、聖霊でなければ、誰も自分が罪人であることを認めることが出来ません。(ヨハネ16:8 その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。9 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、)
なお、イエス・キリストを、主と告白することも出来ません。(第二コリント12:3 また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。)
ゆえに、聖霊の賜物ー特に、異言の現われを救いと関連させる一部の教団と教会は、聖書的に正しい理解を持っているとは言えません。
聖霊の賜物は、言葉その通り、GIFT, PRESENT です。
そして、聖霊、または、御霊は、三位一体なる神様で、人格と意志を持っておられるお方です。ゆえに、わたしたちの内に、聖霊がともにおられると言うことは、わたしたちがすでに、聖霊の持っておられる、すべての賜物が現れて当然ですし、実際的に現れます。
特に、姉妹はクレジットカードが活性化される感動を覚えたことは、聖霊の持っておられるすべての賜物を用いて、魂の救いと成長を助ける無限の可能性を持っているとのことです。
多くのクリスチャンがこれを求めましたが与えられず、寂しい思いを抱いている中で、姉妹は聖霊の賜物が自分の中で活性化されたという確信を持っていることは。姉妹に対する神様のご計画がそれほど大事で素晴らしいものである証拠です。
だから、これからは、なぜ、ではなく、”どのように”、主が与えてくださる無限の可能性を実現できるかについてさらに祈っていく必要があると思います。どうか、姉妹がこの時とこの地域のための神様のご計画をすべて成し遂げることが出来ますようにお祈りいたします。
2年間祈ってきた新しいポジションもさらに大きく祝福されますように。
主にあって、

 

Friday, March 1, 2024

私が手放した分:神さまが働かれる分

毎日、色んなことがあるけれど、
コトバにできたり、できなかったりするけれど、
楽しくって笑いころげたり、怒ってむっとしちゃいそうになったり、
でも、むっとするのぐっと我慢して、にっこり笑顔で礼儀を尽くせたらすごく幸せ
それは私が私の分を果たしたということ
後は神さまの領域です

毎日、色んなことがあるけれど、
上手にできたり、できなかったりするけれど、
感謝されて有頂天になったり、ヒトの分までさせられた挙句怒られへこみそうになったり、
でも、落ち込むことなく、勇敢で誠実だった自分に満足できたらとても良い気分
それは私が私の仕事を果たしということ
後は神さまの仕事です

私は家に帰って家族のためにご飯を作り、神さまは私が手放した分、神さまの分を働かれる・・・
さて、今夜は何を作ろうか
 

師からの手紙 ③


以下、体調の不良を理由に礼拝を休む連絡をした時に受け取ったお手紙です。
コロナとかインフルエンザとかだったら、絶対に最初にうつしてやろうと思って、がんばって行きましたが、ただの風邪だったようで、すぐに回復してしまいました・・・。
でも、この日、礼拝できたことに今では心から師に感謝している。
この日、がんばったことで、私の中の何かが決定的に変わったとさえ思える。
そして大きな自信が与えられ、問題を乗り越える勇気が自分の内側にあったことを知りました。
主の平和、僕も今仕事中なので、取り急ぎ簡単に書きます。
状況はよく分かりました。お祈りの中で覚えます。それでは、明日午前8時45分までに音合わせと礼拝の流れの打ち合わせのために1階の礼拝堂でお会いしましょう。兄弟には、礼拝での奉仕は神様に捧げるわたしの身を持ってのいけにえなので体の調子は優れていませんが、無理してきましたと言ってください。神様に対するご奉仕-献身は無理してするものです。そしてこれが人生においても信仰歴においてもずっと先輩である姉妹の兄弟に見せるべき模範であると思います。尚、これがお家で姉妹のことを常に見守っているはなちゃんとけんと君に対するクリスチャン母としての礼儀作法でもあると思います。それでは、 明日午前8時45分までに、一階の礼拝堂でお目にかかります。主にあって、