わたしに近づく者によって、
わたしは自分の聖を現し、
すべての民の前でわたしは自分の栄光を現す。
レビ記 10:3
アロンの子どもたちが「異なった火」を主の前にささげたことによって、主に焼かれて死にました。
そして、モーセが「主が仰せになったことは、こういうことだ」と言って上の主のことばを言います。
そして10節で、「あなたがたが、聖なるものと俗なるもの、また、汚れたものときよいものを区別するため、あなたがたが彼らに教えるためである。」と言いました。
「異なった火」、「俗なるもの」とは何なのでしょう。
彼らがささげた火とは、一体何だったのでしょう。
そう、考えること自体が、「異なった火」であり、「俗なるもの」、なのかもしれません。
それは、どの程度の違いなら許されたのだろうかと考えることだから。
どの程度の嘘、どの程度のごまかし、どの程度のズル。
そもそも、そこの「程度」の違いは天国では0と1の違いなのでしょう。
2か3か4ではなく。
自分自身に対しては徹底的に潔癖でいたいです。
そして、ヒトの嘘、ヒトのごまかし、ヒトのズルには、気づかないまでに、神さまと神さまがくださる自分の人生に夢中でいたいです。
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