Saturday, September 7, 2013

測り綱とゆずりの地と私の冷蔵庫

測り綱は、私の好む所に落ちた。
まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
詩篇15章6節
 
夏の終わりのある日、ある人に、『おはようスポルジョン』の中にある、ある思想、「神は、正義は、世界は、ワタシの味方」的考えはとても危険だと思うと言われて、深く傷つき、そして落ち込みました。
うまく、答えることができず、私はただ泣いて、自分の内側からドアをバタンと閉めることしかできませんでした。
そのことについていつかきっと書きたいとずっと思っていました。
今やっと、言葉が見つかった気がするのでがんばって書いてみます。
確かに私は、「世界は私の味方」といつも思っています。
きっとだいじょうぶ、
きっとうまくいく、
きっとできる、
きっと助けてくれる人がおくられてくる、
きっと最後は神御自身が、天から手を差し伸べてくださるとそう思っています。
私の地所は、家族も友達も職場も教会も全て、神がお与えになったもの。
私の地所は、その喜びも、幸せも、悲しみも、苦しみも、難しさも、全て神が私にお与えになったもの。
測り綱は必ずしも、最初の希望ではなかったことも一杯あります。
例えば、私が欲しかった結婚は、もっと単純で、苦しくなったらすぐに別れられるような結婚だったし、私の欲しかった冷蔵庫は奥行きは短く、背の高い日本製だった。
私には選択肢がなかったと言っているわけではありません。
神さまは私の前にいつもふたつのものを置きました。
それは、命と死、祝福と災い。
たくさんの失敗と、いくつかの成功を通して私は学びました。
不本意だった地所を好きになれるか、なれないかの鍵はいつもそこにあったのです。
私が、「世界は私の味方」と思うのは、「願い続けて、祈り続けていれば夢は必ず実現できる」と信じる理由は、「測り綱は私の好むところに落ちる、なぜなら、神ほど私の好みをご存じな方は他にないから。私は私の地所を大好きになれる、なぜなら、そこが神が私のために切って、分けてくださった部分だから」と信じることと同じなのです。
それを信じる時、私はいつも、助けを与えられ、それが私が本当に欲しかったものと思うことができるのです。