Sunday, May 29, 2022

私の主日礼拝 5・29

ヨセフは長子をマナセと名づけた。
「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた」からである。
また、2番目の子をエフライムと名づけた。
「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた」からである。
創世記 41:51&52

ハレルヤ。
聖なる安息の日曜日、地上のキリストのみからだへの集いに感謝します。

今朝は先週に引き続き、インマヌエル高津キリスト教会の聖日礼拝より5月22日の説教を通して、神さまの前に静まりました。

創世記の41章から、奴隷として売られた太陽を神とする異郷の地で、その太陽神の化身であるパラオに仕えたヨセフの話。
彼が我が子たちにつけた名前を通して表明した彼の人生についてでした。
ヨセフがいつも一生懸命に目の前にある仕事に励めたのは、その課題の向こうに彼の愛するまことの神でいて励まし見守っていたからなわけだけど、ヨセフの異文化に対するこだわりなさすぎ的なさっぱりしたひたむきさは、やっぱり1にも2にも彼の育ちの良さにあったと思うのでした・・・。
そして、忘れることと赦すことの能力。才能。
これももまた育ちの良さの故。
つまり、父ヤコブと母ラケルからの溺愛。
夫からどの妻よりも大切に愛されたラケルを母としたヨセフは、生まれながらにして、ふつーに愛が充満した家庭で見つめられながら育った、そういう意味ので育ちの良さ。
Forgiveして Foegetする力は、どれだけ愛されているかや人生の成功と比例するとしたらなら、愛することへの価値の評価は、どんなことが上手にできるよりもとても高いと思いました。
天国において、そして、きっと地上においても。(たくさんの実りの理由が愛にあったことに気づくかどうかは別としてね)

 https://www.youtube.com/watch?v=VML3LvdDKXE

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