Friday, March 17, 2023

神さまが光とやみとを区別してくださった本当の理由


今朝から、再び、創世記を読み始めました。
そして、これまでの数週間を振り返り、色々と反省をしました。
1年前に読んでいた本、その本によって私は新しい道を選んだはずだったから、その本にもう一度教えられたいと思って、創世記と平行して、開いてみました。
その本の中の1節と創世記の1章の4節が私の中で完全に一致し、ああ、そうか、そういう意味だったのか、と思いました。
創世の一番最初に神さまは光を創られました。
そして、すぐに、これをやみと区別されました。
すぐにです。
なぜなら、それは決して同じ場所に同じ時間に存在できないもの、正反対のもの、混ぜることのできないものからでした。
そのくらいわかりやすく違う、光とやみ。
そして、私は光を選びました。
選んだはずでした。
どんな時でも光の中にいよう、光の中から逃げないでいよう、そう思ったはずだったのに、とんでもない暗闇の中で泣いていたのです。
その本の中にはこんなことばもありました。
「人に何らかの圧力を加えた時、怒り、憎しみ、ストレス、鬱などか出てきます。
誰が、いつ、どういう方法で圧力をかけたかは関係ありません。
もともとその人の中にあったものが出てきただけなのです。」
オレンジを絞ればオレンジジュースが出てくる、レモンを絞ればレモン汁、きゅうりを絞ればきゅうりの汁、そして私を絞れば私が出てくるのでした。
それが悲しみであれば、私とはもともと悲しい人間なのです。
それが怒りであれば、私とはそもそもが怒りの人なのです。
それでもなお、光の中にとどまり、神と自分と、起きている出来事以外のたくさんの良い贈り物に目をとめ、満足し、喜ぶことをやめずにいれたら、私は本当に光の子となれたのになって。

No comments:

Post a Comment