Wednesday, January 15, 2020

イザヤ書 63章

花婿が花嫁を喜ぶように、
あなたの神はあなたを喜ぶ。
イザヤ 63:5
キリストをまとうように、教会をまとうように生きてゆけたらいいなっと、思い始めて、色んなことが割と楽に受けとめられるようになってきました。
暗くてジメッとした感じのムードや、槍でも降って来そうな空模様の時も、「いいの、私が光だから」とさっと気分を切り替える時の、キーワードが「キリストをまとう、教会をまとう」となっています。
ネガティブな思いに心を占拠されそうになった時、何かの問題を分析しそうになった時、防ぎきれずに、頭の中で分析が始まってしまって、過去の事例を頭の中で並べ始めた時、指をパチンと鳴らすみたいに、このことを思い出すのです。
聖なる安息の日曜日に教会にいる時、私は天国にいるみたいに幸せです。
賛美にもメッセージにも人々の奉仕にも神さまのいっぱいの愛が込められていて、世界が全てこんなだったら良いのにと思います。
でも、安息日は、6日間一生懸命に働いた後に贈られた神さまからの贈り物です。
だから、6日間は、私自身がミニ教会として、いく先々を聖なる光で照らしたいと思いました。
世界のためではなく、自分のために。
自分がずっと教会にいる気分でいたいから。
そしたら、少しづつそれができるようになってきました。
(すごいね、祈ったら、本当になんでもできちゃうんだから、クリスチャンって)
「いんだ、深く考えないようにしよう。私は光だから、ただ、影響されずにここにいればいんだ」って。
さて、今朝のみことばへの私の応答はこうです。
「いんだ、私、キリストというすごい花婿に愛されているから」