Sunday, August 2, 2015

Love is faithful

わたしは真実をもってあなたと契りを結ぶ。
このとき、あなたは主を知ろう。
わたしは彼をわたしのために地にまき散らし、
『愛されない者』を愛し、
『わたしの民でない者』を、
『あなたは私の民』という。
彼は『あなたは私の神』と言おう。
ホセア2:21&23
神の子、クリスチャンにとって、愛とは、アイデンティティそのものです。
私たちは、『愛される者ー無条件に』という名を神から受け取りました。
そして、この名をもらった時から、私たちの人生の焦点は、『愛する者ー無条件に』というものに変わってゆきます。
ルカ書の10章でイエスは、「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である、主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』」と教えています。
私たちが、お互いに愛し合うことによって、周囲の人に私たちはクリスチャンであることがわかります。
私たちが、愛というアイデンティティで生きていることが証されるからです。
The Love Dare より
第22章は、いよいよ信仰ということが論点になってゆきます。
ルカ書のこのイエスの教えは、旧約の申命記の6章5節からきています。
そして、この申命記の6章5節の元をたどってみたら、同じく旧約の出エジプト記の20章の3節に行き着きました。
十戒の第一の戒め、「あなたは、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」です。
どう思いますか。
私はこう思うのです。
愛することはとっても難しい。全くアーメンです。
っていうか以前の私たちには、そもそも愛はなかった。これまたとってもアーメンです。
でも一つ前の2節、「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。」をもし信じることができたなら、どうでしょう。
風で海を二つに分けた神を信じることができるなら、そうやって救い出されたというそんな途方もない奇跡を信じることができたなら、そして、傲慢という罪にさよならを言い、自分という神を捨てるなら、どうでしょう。
『愛する者』となれる自分に向って少しだけ近づくことができると、私は思うのです。

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